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前回の続きです。
(>>『毒親(父)と対決してみた。≪1≫

私のいら立ちが募る反面、父はあくまでマイペースを貫いているかのように見えた。

昼食が終えてからも「散歩するか」とその辺を案内させた。
「アドレナリンが・・・こうして一生懸命に歩いていると体調が・・・」とブツブツ言いながら私に近くの公園まで案内させた。

私はもうこの無駄な時間を終わらせたいと思った。

少しだけ「こういう父との時間ももう何度もない、我慢しよう・・・」

そうも考えたが、どうしても父との時間が耐えられなかった。

私の気持ちとか、過去の関係を全く無視してなかったことにしようとしている。
娘の追及を逃げ続ければ、そのうち態度は軟化してなかったことになる。

『飲み込め、昔のことは』
『人生にはグッとこらえんといかんこともある』

紋切型の言葉を繰り返して嵐が過ぎ去るのをずっと待っている。

「もう3年経った、もう蒸し返すのはやめようや~。こんな言い争い、誰も幸せにはならん」

「そうやね、誰も幸せにはならん。でも、うやむやには出来ん。
私は子どものときから色んなことを飲み込み過ぎてもうお腹いっぱいで入らん。もう無理」

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毒親は【精神的虐待を受けた子ども】がどれほど苦しい人生を送るか知らない。

もう言っても無駄だ。

それはある意味私を救ってくれた。

ホッとした。

もう戦わなくてもいいんだ、と思えた。

「きっとこの人たちは私の苦しみなんて一生わからない。
子どもを自分を幸せにするアイテムだとしか思っていない」

諦めは私を救ったと思う。

『毒になる親』に書いていた対決することの効果ってこういうことなんだ。

親が子どもに謝ったら終わり?

そのあとも全く謝る気配はなかった。
何を言っても、「あー、そういう解釈するかぁ」
「ああ、頭痛くなってきたわ」

更に言うと、

「もうお父さん帰る!こんなに苦しめられたんじゃもうやってけん!」
「じゃあ帰って。駅まで送るから」

そう言うと、
「(息子の名)には会わせてくれんのか」
と言われた。

「私だって、親孝行したい。本当は『いらっしゃい』って迎えたいし、お父さんの謝罪さえ聞けたらもう何も言わずに孫に会わせるつもりだった」
「お父さんにはわからないだろうけど、ずっと辛い。子どものころに暴力を受けて・・・分数が出来なかったからって何度も殴られて、鉄板に手を押し付けようとしたり、指を切り落とそうとしたりされたこと。今でもトラウマになって、後ろから殴られたから今でも後ろに人が立ってると怖い。ほんとに怖い。それでミスが多くて仕事やめたりして・・・」

「ああ、悪かったぁー。それは悪かったと思っとる。お前が勉強のときに集中せずにキョロキョロばっかりしてるから、ちょっとでも集中させようと思ってな」

謝りながら、また言い訳をしている。

「キョロキョロしていたのは、あなたがいつ暴力をふるうかわからなかったから・・・」

もう嫌になった。
早く帰れ、帰ってくれ。
これ以上私の邪魔せんといてくれ。

「はい、すみませんでした。謝ります。はい、親が子どもに謝っています。すみませんでした」

「親が子どもに謝るのってそんなに変なこと?そんなに嫌?」

「だって、親が子どもに謝ったら・・・それまでの子育てが全部間違ってたことになる」

「・・・は?」

「これまで自分の好きな事とかせずに、我慢して子育てしたのに」

じゃあ子ども作んなよ!
三人も作るなよ!
自分の時間取られることなんて一人目でなんとなくわかるやろ!

・・・とは言わなかった。
馬鹿馬鹿しすぎて。

そのあと、一瞬息子に会わせたが私の様子を見てちらりと見るだけで帰って行った。

父は・・・「可哀想」だった。

毒父と対決してみて

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数年前、対決として長い手紙を両親に向けて書いた。
そこには自分は親から暴力を受けたという事実と「虐待されたと思っている」という気持ちを書き綴ったものだった。

父はその手紙のことを

『あの作文』と言った。

作文・・・

私は今まで親に何を期待したんだろう。

でもむなしさと一緒に、初めて親から自由になったような気がした。

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