『キレる親』の思い出と、『キレる』自分への考察。

『キレる』私
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昨晩、すごく怖い夢を見ました・・・。

うちの母がある宗教家にはまっているんですが、その宗教家のことを夢の中で私が
母の前で「うん〇野郎」と罵ってたんです。

私「こんなうん〇野郎に何十万も費やすってアホなん!?こんなヤツ詐欺師やで!」

と叫びまくってたんです・・・。

夢の中で私なぜかよくわからないことで叫んだり、キレて暴れてたりよくするんですよね。

すると母が突然「キエ~!!」って叫んで私を追いかけてきました。
実家の階段を駆け下りながら、「おとうさぁん!助けて!」となぜか父に助けを求める私。

しかし、ヤマンバのような風貌になった母につかまり、首を絞められ・・・というところで慌てて飛び起きました。

危なかったです・・・笑

下らないですが、以上夢の話でした。おわり。

目次

普通の家の子どもは『キレる親』なんて見たことないんだね


よく考えてみると、子どものころよく母は(父もたまに)キレてました。

母はキレると突然般若のような顔になって、私をとにかく蹴ります。

母は背がすごく高いのもあって、脚が長い。
だからキックされると、結構距離があってもヒットしてました。

一応、キレているなりに気を遣っているのか(?)顔やお腹は狙わず、いつも膝から下。

母が蹴ると、私の脚には当然青あざが出来ました。
怖いのはそれで1日、2日経ってから母に「あれ?それどうしたの?」と言われること。

子ども心に「この人覚えてないんだ・・・(唖然)」となって答えられませんでした。

母は私にキレると私をよく蹴りましたが、父にキレると物が飛びました。

一度「本当にヤバイ」と感じたのは、確か小学二年生のころ。

突然仕事場(実家の一階は仕事場)から階段を駆け上がってきて、何かを叫びながら私や兄のランドセルを蹴っていました。
そして何かよくわからないことを叫びながら、そのランドセルの中身をぶちまけ、蹴って大暴れ。
恐怖に慄く姉と兄は自室に逃げ込み、私は泣きながら必死で母を止めに入りました。(私は「ごめんなさいぃぃぃぃ」とか言っていた気が)

すると父が一階から「お母さん疲れてるんだよ」とその様子を見ながら一言・・・。
いつもなら父が「おらぁ!何をしとるか!」みたいな風に母を怒鳴りつけるところなのに、なぜか父までもがビビッてそのセリフ。

今思うと、「なんだったんだ」と思うことの数々です。

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『キレて』るときの心の中ってこんな感じ。

いつもってわけではないですが、私もキレることがあります。

あるか・ないかと聞かれたら、「あります」ってレベルです。

そしてその時はいつも夫と喧嘩したときに起こるんですが(しつこいですが毎回じゃないです)、
案外キレるときって冷静なんですよね。

夫が何か決定的なことを言う。

私が「ぐう」の音も出ないほどショックを受ける(ていうか呆れる)

それで目の前にあるものから夫に投げる。
それが立て続けになって、しまいには身の回りの物をすべて手に取って投げつけている。
テーブルの上にあるものはもちろん、しまいにはテーブルごと倒したり。
(その間覚えてないけど、何か叫んでいる)

夫はその間「そうやってキレていいと思うなよ!」→「わかったからもうやめろ」→「悪かったから、もう落ち着け」とか(だいたいこんな感じ)
で私を止めに入ります。

それである程度の物を放り投げてようやく終わります。

その間考えていることは(「こんな大物投げちゃうからな!」「こんな液体もこうだ!」「夫に当たれ!」)とか。

書いていて本当にバカバカしいです。苦笑

でも、人がキレて物投げてるときの心のなかって案外こんな感じなんだと思います。

『キレる』人は滑り台の上で生活している。

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よくキレちゃう人って、本当にギリギリのところを常にキープしてる人なんですよね。

要するに余裕がないんです。全く。

例えるなら、滑り台の上でずっと生きてる感じ。
ちょっと押されるとすぐに滑って落ちちゃう。

だけど、周囲の人(私なら夫)が本人が滑り台の上で生きてるなんて知らないから、
時々さっさと階段上がってきて色々言ってくる。
キレちゃう人は「ここ狭いから、来ないで!」って必死にアピールするけど、
まさか滑り台があるなんて知らない夫は「は?何言ってんの?」ってさらに詰め寄る。

で、しまいには「もう滑るしかない!」となって滑る(キレる)んですよね・・・。

滑り終わる(落ち着く)と、また滑り台に上がります。そしてそこでまたギリギリスペースでの生活をするんです。

どうすれば滑り台から(階段を使って)降りられるのか?

滑り台の上に上がってる人だって、初めから上がっていたわけではありません。

キレない、普通の人はみんな滑り台以外のところで生活しているわけですから、
きっと毒親育ちで自己肯定感がすごく低かったり、どうしようもできない悲しみや怒りを押し殺して生きているみたい
な人が仕方なく登ったんでしょうね。

地上にいる普通の人たちは余裕がある(生きられるスペースが広い)から、何かあってもサッと避けたり逃げたりすることが
できるけど、滑り台の上にいるとそれが出来ない。

すべて身一つで受け付けてしまう。

どうすればわざわざ滑り台に上がらなくても生きられるということに自らが気づくことが出来るか。

それはまず『自分を許してあげること』から始まります。

『自分を許すこと』をはじめよう

滑り台の上で生きている人にとって、地上で生きている人は羨ましくてたまりません。

「あ、サッカーしてる」
「あ、ブランコしてる」

広いスペースを持っている人たちは自分が「楽しい」「やりたい」と感じる遊びが出来ます。
でも限られたスペースしかないため、ただ座ってぼんやりと眺めていることしかできません。

たまに地上の人が階段を上がってきても怖いから全力で阻止します。

滑り台の上の人は、自分から進んでそこに上がっています。
別に誰に言われたわけでもないんです。

だから、降りて生活しても全く問題はないんです。

でも「自分に地上はもったいない、狭いスペースで十分」
「私なんて滑り台の上にいるくらい小さな人間」

と自分で自分を卑下しています。

そして自分が「ここで生きたくない」「こんなところ嫌だ」と思うことを許しません。
子どものころから気持ちを無視されて育つと、次第に「私に意思なんてない」と思い込んでしまうんです。

滑り台から降りるにはまず自分の「ここから降りたい」という気持ちをしっかり認識すること。
自分の気持ちを認めてあげ、甘やかしてあげることです。

キレる人はまず、対等な立場で自分の気持ちを相手に示すこと。

母がキレていたのは私ではなく、父(夫)に対してです。

母は祖母や夫に歯向かうことは出来ませんでした。
それは「私は哀しい」「私は疲れた」「私は腹が立っている」という気持ちの表現ができなかったから。

たとえ伝えたとしても「みんな一緒」「俺のほうが~だ」と、労ってもらったりしたことがなかったから。

私に暴力をふるっていたのは、滑り台の上から自由に遊んでいる私を見ていて腹が立ったからだと思います。

そして母は私にも滑り台の上で生活するように指導してくれましたが、
私は自分が滑り台の上にいることに最近気づいたから、少しずつ降りています。

地上で夫と喧嘩をすること。

それが出来るとキレることもなくなるんじゃないかな。

森雨でした。

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