「生きる」ということはこんなにも切なく、尊いものなのか。―『この世界の片隅に』片渕須直監督

映画レビュー
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つい先週観てきましたよー!
年末から「私、これ観るから。観るからね!」
としつこく夫に宣言していて「うん行け」とまで
言われていて結局観れたのは年明けて一週間以上経ってからでした。
夫と行きました。

夫、帰りのエレベーターで超泣いてました。
私がそれをじっと見ているのに気付いたときの夫のコメント

「……あとから来るわぁ」

そうです、後からも前からも来る映画。
今回は『この世界の片隅に』です。

目次

「戦争映画」というには勿体なさすぎる

「昭和?戦争?広島? ごめん、無理~」

そう言って観ない人が多そうだったこの映画。
まあ当然でしょう。特に若い世代は戦争の悲惨さなんて映画で
観たくはないんですよ。

ではなぜ、この映画がここまでヒットしたか。
一部メディアでは「戦争映画が異例のヒット!」と報じられましたが、
それはこの映画を観てない人のセリフです。

この映画は戦争を描いた映画ではなく、
昭和9年から昭和20年を生き抜いた女性すずさんの生活を描いた作品。

戦争と闘い生き抜いた歴史ではなく、
戦争と共存しようとした人間たちの物語です。

「戦争だけじゃない」人々の生活を見るとそう思う。


「いつもぽーっとしとる」すずさんとその周囲の人たちの
後ろにはいつでも戦争の暗い影が落ちていたはずなのに、
どこかよそ事です。

すずさんが義姉にちくちくいびられたり、夫といちゃついたり、
物資がない中でも工夫を凝らして食事を作ったりする生活には
戦争という暴力の入る余地はありません。
「お国の為に」と次々と人が死に、空襲で犠牲者が出ていても
個々の生活を守ろうとする人間の芯の強さを感じます。

私の父方の祖母は瀬戸内海に住んでいて、広島も近いので言葉がすずさんと
ほぼ一緒です。(ちなみに私も)
すずさんと同世代の祖母に当時の話をすることが多いんですが、
戦争当時祖母は特に直接的な被害は受けませんでした。
確かに物資は少なかったですが、島なので空襲もほとんどなかったそう。

毎日のように出兵する兵隊さんを送りに桟橋に行き、旗を振っていたと言います。
千人針もしたし、竹やり訓練に近いこともしていたそうですが戦争はあまり身近では
なかったと言います。
ただ、8月6日のキノコ雲は忘れられないと言います。
「『ありゃなんでぇ』とみんなが山に登ってみた」と。

きっと祖母も、すずさんと同じように「世界の片隅で」生きていたんでしょうね。

すずさんや祖母が生きた昭和10年から20年は決して戦争だけでは語れません。
「戦争」という一言で片づけてしまうのはあまりにも理不尽です。

そこには一人ずつ、一つずつの生活が確かにあったのです。

「生きとろうが 死んどろうが もう会えん人が居って ものがあって
うちしか持っとらんそれの記憶がある

うちはその記憶の器としてこの世界に在り続けるしかないんですよね」

ラストシーンに涙が止まらない。

ネタバレになってしまうんですが(今更!笑)
最後にすずが戦災孤児を家に連れて帰るシーンがありますよね。

戦争が終わり、一瞬ホッと息をつく人々に残されたのは
思った以上に深手を負った世界。

守ってくれる人を亡くし、すり寄ってきた少女を抱いて連れて帰る
すずと周作。

最後のセリフが忘れられません。

「あんた…よう広島で生きとってくれんさったね」

戦後『普通』のすずが出来たのは、
人として普通にある愛を少女に与えることだったんです。

すずさんが『世界の片隅』にいるのだとしたら、
この世界の中心にいるのは一体何でしょうか?

この作品を映画として作り上げるきっかけとなった
全ての普通の人に感謝したいです。
観ていない方は今からでも是非。

森雨(@moriame25525)でした。

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映画は原作にほぼ忠実でした。
もう一度作品を味わいたい!という方は原作も要チェック。

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック
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コトリンゴの
『悲しくてやりきれない』をはじめ、
音楽も秀逸でしたね。
ピアノの音色を聞くだけで涙が…。

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