自分の人生に絶望しているあなたに贈る一冊【ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』】

本レビュー
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こんにちは、森雨(@moriame25525)です。

今回はホロコーストと人間について書かれた本。
発売されたのは1958年の夏。今年で発売から59年経って今もなお
世界中で読み継がれている本。

ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』です。

目次

ホロコーストを体験した心理学者のドキュメンタリー

『夜と霧』

第二次世界大戦でドイツ軍により多くのユダヤ人が『強制収容所』での
ホロコーストで命を落としました。
過酷な環境での強制労働、ガス室送りはあまりにも有名な話で数多くの映画で
その光景が再現されました。

人間とは何か。
尊厳とは何か。

平和について深く考えさせられますが、
そんな物語の中で一線を画すのがこの『夜と霧』

『夜と霧』は強制収容所から生還した心理学者が強制収容所で
感じたこと。極限状態で考えたことをまとめた一冊です。

私はこの本を読むまでホロコーストの話だからさぞ残酷な
エピソードが収録されているんだろうと勝手に思っていました。
ドキュメンタリー映画の『夜と霧』は観たことないんですが、
あの白黒の記録映画とイメージが重なって、どうしても
ハードルが高くて手が出ませんでした。

しかし、最近この本を人生観を変えた一冊として
とりあげる方も多く、最近またホロコーストや戦争に興味が
出てきて調べるチャンスがあったので思い切って読んでみました。

すると、思ったよりずっと読みやすく、
まるで一本の映画を観るようにするすると頭に入ってきました。
(翻訳も良かったんだろうな)

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強制収容所で「尊厳」を奪われた人たちの心の中

強制収容所に入れられた人々は、まず家族と引き離され、
持ち物は全て没収。全員同じボロボロの服に着替えさせられて
一人ひとり番号をふられました。

つまり、それまでの人生を奪いとられたわけです。
持ち物だけでなく、家族・職業・経験・身分など一切無くした人間。

あまりにも過酷な環境で、人はどんどん無感情になっていきます。
心を殺すことが出来なければ、死の恐怖や苦しみに耐えかねて自殺する
しか道がなくなるからです。(ここでいう自殺は、鉄条網の高圧電流に中に
飛び込むこと)

フランクル自身も同じでした。

わたしはかじかんだ手で熱いスープ鉢にしがみついた。
がつがつと飲みながら、ふと窓の外に目をやった。
そこではたった今引きずり出された死体が、座った目で窓の中をじいっと覗いていた。
二時間前には、まだこの仲間と話をしていた。
わたしはスープを飲み続けた。

しかし、全ての人間がそうだったわけではないそうです。
収容所の中にいた人の中には、カポー(室長みたいなもの)となって
仲間を攻撃したりいじめたりした人もいましたが、
生き抜くための知恵を後から来た者に教えたり、心遣いを忘れない人もいました。
つまりどんな状況になろうと、「わたし」を見失わなかったんです。

つまり人間は一人ひとり、このような状況にあってもなお、
収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、
なんらかの決断を下せるのだ。

人はいつでも「仕方ない」という状況に置かれます。
例えば、学校の中でいじめがあったとして、自分が標的になるのが怖いからと
それを見て見ぬふりをすることも出来ます。
見て見ぬふりをしたことをたいていの人間は責めないでしょう。
「怖いもんね、仕方なかったよね」と言えば終わりです。
しかし、そこで勇気を振り絞って自分を顧みずに止めに入ることもできます。

どんな環境であれ、人はいつでも精神の自由は奪われないんです。
阻害されることはあっても、奪われない。

収容所で虫けらのように扱われ、消えていく命。
そんな環境の中で人は苦しみながら死んでいきます。

そのことについて、人が生きる意味と照らし合わせてフランクルは
こう述べています。

最期の瞬間まで誰も奪うことができない人間の精神的自由は、
彼が最期の息を引き取るまでその生を意味深いものにした。
なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、
美や自然や芸術をたっぷりと味わう器械に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。

どんな人生であれ、どんな運命に導かれた人生であれ、
常に人には「生」を意味深いものにする機会が与えられています。

人生の価値とは、「いかに苦しんだか」です。
そしてそこから何を学んだかにかかっているということです。

「愛すること」で人はどんなことにでも耐えられる

尊厳を全て奪われた人たちは、常に心に愛する家族や愛する人を据えて
話しかけたり、想像して生活していました。
フランクル自身、既に奥さんは亡くなっていたかもわからない状態でも
どんな辛い作業のときも愛する妻と会話を続けていました。

それだけ愛するという感情は人を勇気づけ、何にも代えがたい宝となります。

同時に、自殺を考えて絶望しているある囚人を思いとどめさせるのに、
フランクルは愛する子どもや未完成の仕事の話をすることで
思いとどめさせました。

自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、
生きることから降りられない。
まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、
ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

人は人を愛し、多くの人は子どもを作りたがる。
それは人生の喜びかもしれないけど、それに対する「責任」を背負うことでもあります。

しかし、それはつまり
生きることは私たちから何かを期待している」ということなんです。

人を愛すること。
仕事を全うすること。

生きる意味を問うているのは私たちではないんです。
人生のほうから、私たちに求めているんです。

人間は苦しんでこそ、価値がある

だから、
「生きることに絶望した」
「私の人生はなんて辛いことの連続なんだ」
「もう死にたい、辛い」

と苦悩するのはそれだけ一生懸命に、しっかりと生きているという証なんです。

愛するもの・こと。
自分が大好きな仕事、遊び、ゲームでもなんでもいいから心に置いて、
痛みを一時忘れながら、
それでも人間であるということに苦悩することに意味があり、
それこそが人間としての財産となる。

今のあなたの苦しみも、あなた以外の人間は経験できない貴重なもの
なんですよ。と言われたような気がします。
素晴らしい読書体験でした。

『夜と霧』は
「生きる」ということがどういうことかを過酷な経験から教えてくれる、
貴重な書籍だと思います。
そして、『夜と霧』最後から2つ目にある、
「医師、魂を教導する」は必読です。
さすがに全文を掲載するわけにはいかないので、是非購入して
実際に読んでみてください。

森雨でした。

↑私はこちらの翻訳で読みました。
(中古で購入したら、前の持ち主が線引きまくってたので買い直しました笑)

↑放送は見逃しましたが、このムック本も読後におさらいで読むとさらにわかりやすいです。

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