【愛着障害】愛情を与えては突き放す。『帰ってこれなかったハイジ』状態。

境界性人格障害
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もうすぐエイプリルフール。
夫に何の嘘をついてやろうかと考えを巡らせています。

察しのいい夫はすぐに私のウソを見抜きます。

「ふっ…これだからトーシローは…」

こんなことをもう言わせないために、
(ていうか嘘の達人って何だよ詐欺師かよ)
もう現実と虚構スレスレでいかなければいけません。

もう何かの競技みたいになってきたエイプリルフール。
今年は、勝つ!

(※夫婦円満の秘訣はイベントを大切にすることです。笑)

先日紹介した

(086)絆の病 (ポプラ新書)

(086)絆の病 (ポプラ新書)

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“>『絆の病~境界性パーソナリティ障害の克服』

この本の中で気になったことがあります。
第4章やさしさの中で変わっていく 『生きづらさの根にあるもの』ところ。

不安型愛着、といっていったん手に入れた関係が失われてしまうんじゃないか、
見捨てられてしまうんじゃないか、そういう不安のタイプを持つ方が多いですよね。

それはおそらく、まったく愛されたなかったわけではないけれども、
愛されたり、愛されなかったりに、結構差があったりして、

ある時期からすごく愛情不足を味わっているとか、そういうギャップを
味わった方じゃないかと思うんですよね。

このブログでは、割と私の幼少期の辛かったことに焦点が当たっています。

実はそのことが少し気になっていました。

私は自分の愛着障害の性質もあって、辛かったことを本当に
よく思い出します。

親に虐待されたこと、教師にされたこと、いじめられたこと
ばかり思い出します。

でも、気分のいいときに夫と小さいころの思い出を
語り合います。

子どものころ何が流行っていたとか、
どんな遊びが好きだったかとかです。

思い出してくると、
「ああ、あの家族旅行は楽しかった」
「そういえば兄ちゃんとあんなことがあったな」
とか色々思い出します。

(あのころはよかった)

とは決して思いませんが、私にとっては貴重な思い出です。

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辛かった思い出ばかりじゃないということ

私は親のことを「毒親」と呼び、
「虐待された」とこうしてブログで書いてきました。

しかし、本当に境界性パーソナリティ障害で悩んでいる人は
好きで親のことを「毒親」と呼んでいる人はいないんです。

本当に小さいころ、3歳とか4歳とか…いやもっと小さいころは
親や周囲の人に可愛がってもらっていたという記憶が
ぼんやりとどこかにあって、

その記憶を頼りに愛情を親に求めていたけど、
その要求に応えてもらうことが出来なかった…

だからこんな風になってしまったんですね。。

確かに、うちの父母を知る人たちは
「子煩悩な人たちだ」と言っていて、

実際私は末っ子だし、本当に小さいころは
抱っこしたりおんぶしたり、たまに絵本を読んでもらったり
していました。

父はユーモアがあり、いつも私たちを笑わせていて、
母は愛想がいい人ではなかったけど、お菓子やパンを一緒に
焼いたこともあります。

子どもの頃から本が好きなのは親のおかげで、
よく図書館に連れて行ってもらったからです。

ある日母に「こんな本、読んでみたら」と子ども向けの
短編集を手渡されてから一気に読むようになりました。

うちは裕福ではなかったけど、私が小学校に上がる前は年に1度は
旅行に行きました。

夜明け前にパジャマのまま車に乗って、
コンビニでパンを買って…本当に楽しかったです。

まだ3歳かそこらでしたが、はっきりと覚えています。

気分屋の父は、調子のいい時は本当に優しく、
子どもの心をつかむのが非常に上手い人でした。

しかし、子どもを叱るときは子どもを叩いたり、
追い出したりして鬼のように怒りました。

一度怒ると誰にも抑えがきかないので、
母でさえ恐れていました。

両親とも子どもの前でもキレるところがありましたが、
それさえなければどこにでもいる普通の親だったと思います。

『アルプスの少女ハイジ』を見て思う。

小学生になり、塾に通うくらいになると(小3)
勉強が苦手だった私に対して突然親は冷たくなりました。

以前のように、何もしなくても愛されるということはなくなり、
「お兄ちゃんたちのように勉強が出来る子」
が周囲から期待され、求められるようになったのです。

しかし、私は出来ない。
どうしても遊んだり、飛び跳ねたり、踊ったり。

兄たちとは確実に違うタイプの子どもでした。

このあいだAmazonプライムビデオで『アルプスの少女ハイジ』を
見ていたんですが、ちょうどハイジみたいな感じです。

(ハイジみたいに可愛かったかどうかは疑問なんですが)

私も小学生のころは朝から日が暮れるまで
ハイジみたいに海や山を飛び跳ねて遊んでいました。

親も兄弟も忙しく、私にあまり構わなかったので親戚の家を
転々としていましたが、どこに行っても「ママ~」と泣いたことは
無かったそうです。
赤ちゃんでお座りが出来るくらいのころから自分で自分の身体を洗っていた、と
未だに祖母に言われるくらいです。笑

愛想がよく、どこに行っても大人の言うことをよく聞いていたそうで
何日よそに預けられても「帰る」と言わなかった、と親戚たちに言われました。

しかし、今考えるとそれってつまり「どうしたら愛されるか」ということを
自然と考えてやっていたってことですよね。

確かに、大人が喜ぶほうに行動していました。
いつでもピエロになって人を楽しませることに熱中していました。

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あなたは「山に帰れなかったハイジ」

話を戻しますが、ハイジって全部ちゃんと見たことあります?

ハイジ、両親を赤ちゃんの頃に亡くしてから親戚の家を転々とします。

最終的にデーテという母の妹(叔母さん)に育てられるんですが仕事の都合で
アルムの山のオンジのところに行くんです。

そして、自然いっぱい・愛情いっぱいでようやくホッとしたころに
またデーテがやってきて、ハイジを巧みに騙して今度はフランクフルトの
大金持ちの家(クララんち)にやるんです。

ハイジがいくら山に帰りたい!こんなところもうヤだ!
ってなっても、帰れない。

「あんた読み書きも満足に出来ないの?!」

「あんた行儀もなってないのね!」

ってロッテンマイヤーさん(パン屋の名前みたい)
にビシビシしつけられるんですね。

で、とうとう精神を病んで、失感情症になり、
夢遊病になってしまう…

もしあのままハイジが山に帰れなかったら、
生涯、境界性パーソナリティ障害で苦しんだことと思います。

死んでいたかもしれません。

ハイジはようやく手に入れたおじいさんや自然からもらった
無償の愛から引き離されるんです。

おじいさんの温かさを知っているからこそ、
「帰りたい」と泣いて病気になる。

ハイジはSOSを周りが運よくキャッチしてくれて、
山に帰れたんですよね。

境界性パーソナリティ障害も、親が望むような子になるのは「性に合わなかった」
でも、いくら「帰りたい!」(かつてのような愛情を感じたい)と泣いても帰してくれなかった。

で、大きくなって「期待外れだった」「あんなにしてやったのに」
ってポイッと捨てられちゃったんです。

境界性パーソナリティ障害の人は要するに、

山に帰れなかったハイジなんです。

大きくなってからハイジがアルムの山に帰っても、
きっと意味は無いんでしょうね。

なつかしい思い出、愛情を与えられた経験よりも
おじいさんと引き離されてからの辛い生活のほうを思い出してしまう。

今からあの頃に失ったものすべてを取り返しに行くのは難しいですが、
きっとそれに代わるものは、いつか見つかるはず。

いつかね。

……ハイジ、ほんとに帰れてよかったっすね。。

森雨でした。

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