こんにちは、森雨です。

ここ数週間ほど、毒親体験談を寄せてくれた人への
インタビューや記事作成で(ありがたいことに)大変忙しく過ごしました。

聞けば聞くほど、

「みんな結構な毒親をお持ちで」

と同情したり、ちょっと笑ったり、悲しんだりして
改めてこれまでブログには書いてなかった事も色々と考えました。

毒親体験談を寄せて下さった人は本当にいい人たちで、
多分面と向かって話したらもう『同志よ…』と抱き着いてしまいそうな
くらい優しく、心配りの出来る人ばかりでした。。

私は発達障害の影響か、かなり人の話を途中でバスン!と切って
自分がしゃべってしまうときがあるんですが(ごめんなさい)
皆さん本当に私の粘っこい質問によく耐えて下さったと思います。

もう思い出したくないようなこともあったと思うんですがね…( ;∀;)

今の悩みを聞いていて、これは私もそうなんですが、
皆さん「無理をする」「我慢する」というのに慣れ切ってしまっていて
(大丈夫なんですけどね~)と言いながら実はかなりストレスを抱えているなという
ことがよくわかりました。

愛着障害や毒親育ちの人あるあるだとは思うんですが、無理をすることによって
人生がより辛いもの、しんどいものになりやすいというのは多くの日本人が抱える病なのでは
ないかと思います。

今回はそんなことを考えてみました。

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【もう一度言う】我慢や無理は誰の為にするものなのか?

以前にも『我慢』については記事にしましたが、
改めてもう一度言います。

『その我慢、誰の為にしているの?』

ということ。

「我慢」や「耐えること」って美徳にとらえられがちですよね。

例えば、スポーツの世界で校庭20周くらい走って、

「もう無理です…」

って言ってるのに、先生が「まだまだぁ~!甘えるな!」なんて
叫んで辛いのに耐えてトレーニングを重ね、最終的に大会で優勝するっていう。
優勝の時のスピーチで「あのとき耐えてよかったです。先生に感謝!」なんて
言ってるの聞くと、

「ほら、あのとき歯を食いしばって我慢したから優勝したんだよ」

となりますよね。

それは本人が自分の為にトレーニングを積んだからそれはそれでいいんですよ。

でも、もしも本人がやりたくもないトレーニングを強制的にさせられていて
尚且つ「もう(体調的にも)無理です」となっているのにも関わらず、

「我慢じゃー!」

って言われて耐えて耐えてついには倒れるのは間違っています。

その我慢はきっと、

(ここで止めたら先生に怒られるな)
(ここで止めたら親にガッカリされるな)
(ここで止めたら周囲の人に「あいつは弱い」って思われるな)

というところから発生しているものなんです。

「周囲の人にどう思われるか」ということのために我慢しているんです。
つまり、その時のあなたは、自分の為ではなく親や周囲の人の為に生きているということになります。

これはストレスが溜まって当然ですよ。

「え?そんなの当たり前じゃない?」

と思った人もいるかもしれませんが、まあほぼ8割以上の人のストレスは
誰かのためのストレスなんです。

というより、そもそも本当に自分の為にしていることなら我慢も楽しめるのでストレスを
抱えるわけがないっていう…。

例えるなら、サウナと同じです。

サウナって入る人なら分かると思うんですが、グーっと熱いのを耐えたからこそ
水風呂に入ったり冷たいシャワーを浴びたときの爽快感がすごいんですよ。

だからサウナに入っている人の多くが、我慢ではなく楽しみの為に熱さに耐えているんです。
これを耐えれば冷たいビールがウマイぞ!みたいな。

でも、もしもサウナ苦手な人が無理に強制されて、

「もっと耐えろ!普通サウナでは15分は我慢するもんだ!」
「出たい?情けない!他の奴らを見ろ!お前みたいな軟弱なやつはいないぞ!」
「銭湯なめてんのか!」

なんて言われたら理不尽じゃないですか?

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強制されることに喜びを感じている?!

しかし、生きづらさを抱えて人の多くは「強制」されることに慣れきっていて
強制してくれる人を自分で作り出しています。

おかしなことに、自分で自分に負担をかけているのです。

「毎日掃除しなければいけない」

「忘れ物をするなんて情けない人間」

「いつでも自分が周囲の迷惑になっていないかを考えなければいけない」

「子どもを正しくしつけなければいけない」

「常に一生懸命に働くべき」

「どんなに疲れていても、仕事と家事はしなければいけない」

命令や禁止をきちんと聞けた日は達成感から喜びを感じ、
そうでない日は自分をとことん責めて反省させます。

自分に対する命令や禁止は時に厳しく、時に心地いいものです。

だからやめられないんですよね。

自分の為に何かする、ということの難しさ

毒親育ちの人たち。

子どもの頃から「○○をしなさい。でないと、愛してあげない」と
無償の愛を与えてくれる存在である両親から何かの引き換えに愛してもらっていた人たちは

みんな一様に『誰かに何かをする』という奉仕の精神がしっかりと根付いています。

相手に拒絶されるのが怖いから。

相手に合わせることで自分を守っているんです。

でも、それに一生懸命になりすぎて自分がしたいことが何かということや、
自分が食べたい物さえわからなくなっています。

例えば、お昼一緒に外で食べよう!となって、
何が食べたいかが思いつかないのです。

「何が食べたい?」という相手の顔を見ながら、相手が食べたいだろうものを想像します。

「何でもいいよ」という返事を繰り返しながら、いつの間にか自分が何をしたいか・何が食べたいかさえ
思いつかないのです。

そしていつか、周囲の大切な人に「素直になりなよ!」と言われて困り果ててしまいます。

自分を殺し、相手に合わせることですでに喜びを得ていた私たちは素直になることがどんなこと
なのかさえ既に思い出せなくなってしまうんです。

子どもの頃、あれが欲しいこれが欲しいと泣き、
抱っこしてほしいと甘えて泣き、
悔しかった時に慰めてもらった子どもは大人になってからも素直になれます。

毒親育ちの人は子どもの時に気持ちを受け取ってもらえず、全て自分の中に溜め込む癖が
ついてしまったんです。

それを直さなければ、「素直に」なんてなれるわけがない。

そして同時に相手に気持ちをぶつけても大丈夫だと思えるくらい
わがままにならなければなりません。

『子ども』をやり直そう

ワガママが許されるのは子どもだけ。

いや、ワガママを言うのは愛される子どもだけ。

大人のような従順な子どもだった私たちはもう一度子どもになって
子どもを経験しなければ大きくはなれないんです。

子どもは大人が思ったより賢くて、親の表情を見て機嫌を察知して
行動します。

常に不機嫌だったり、キレやすかったりと感情の浮き沈みが激しかった
毒親と一緒にいた私たちは常に親の顔色を見て自分がどう動くかを考えて
いました。

だから私はファミレスなんかでわがまま放題言っている子どもを見ると、
(ああ、私もあんなふうに甘やかされたかったなー)
と思ってしまいます。笑

大人になった私たちの親になり、甘やかしてくれる大人はいません。

いないんです。

(いると思った人!それは勘違いですぞ)

だから、自分のことは自分で甘やかしてあげなければいけません。

  • 気になるものがあれば、どんな下らないものでもたまには買ってあげよう。
  • 好奇心を頼りに、遊びに出かけてみよう。
  • 自分の本当に欲しい物を自分に常に問いかけてみよう。
  • 自分の気持ちや行動を見守ろう。


それが徐々に出来るようになったら、誰かに少しだけ甘えてみよう。

愚痴を言ったり、欲しい物をリクエストしたり。
行きたいところをネットで探して行ってみるのもいいかも。

嫌なことは嫌だと言おう

ところで、

「私なら出来ない!よく我慢できるね」
「無理するのはよくないよ!」

そんな風に人から言われたり、思われたりするようなことってありませんか?
それはすごーくありがたいことなので、よほどのことでなければ素直に従ったほうがいいです。
基本的に私たちは感覚が麻痺しているので、「どうかな?」と思うことは人に判断してもらうと良い方向に向かったりします。

背中を押してもらえたりするし、人の意見を聞くことは案外いいことだと思います。

嫌なことを嫌だと断るのは勇気がいりますよね。
私たちだとなおさら。

めちゃくちゃ怖そうなお化け屋敷に子どもを連れて行って
「入ろうよ!」と誘っても「嫌だ!」という素直な子もいれば、
「せっかく来たんだから」と言われて相手の気分を損ねまいとしぶしぶ入る子もいます。

うちにもいるんですが、2、3歳児は正直です。

親が苦労して買ってきたおもちゃも平気でポイ、としちゃうこともありますし、
よかれと思って買ってきたDVDを絶対に観ないと言い張ったりします。

相手の好意より、自分の気持ちを優先しているのです。

歳をとるにつれ、子どもは相手の気持ちを考えることが出来るようになるので
少し遠慮したりするようになりますが、それまではめちゃくちゃ素直です。笑

人の気持ちを優先しすぎると、自分がどんどん薄くなって消えてしまうので
やめましょうね。

たまには自分の為に「私それ嫌です」と伝えましょう。
それで気分を害すような人はあなたの為にならないので距離を置いたほうがいいです。

私たちはもっと自分にワガママになるべきだ

ワガママに、というとマイナスなイメージがあるかもしれませんが
自分が毎日を楽しく、生き生きと過ごすにはすっごく大事な能力です。

聞き分けの良い人。
大人しい人。

落ち着いた人。

イイ人。

これらを卒業し、ちょっとワガママな子どもに戻って過ごしてみませんか?

森雨でした。

 

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