こんにちは、森雨です。

早速今回も重いテーマいってみようと思います。

(苦々しい読後を恐れるあなたには、砂糖スプーン5杯・クリームどっさり入った
スタバもびっくりのべた甘コーヒーを飲みながら読むことをおすすめします)

最近こんなニュースがテレビやネットで取り上げられていました。

そう、福井で中学二年生の男子生徒が教師による度重なる叱責や恫喝を苦にして自殺した事件。

「聞いているほうが身震いするほどの叱責」

と当時周囲にいた生徒がコメントするほど度重なるきつい叱責。

叱責というより、そうなるともう恫喝ですよね。

この事件を聞いたとき、私自身も教師から暴力・暴言を受けたなということを
思い出しました。

今回は自分の経験をもとに、今なぜ教師たちが自分にそういったモラハラをしたのか
ということを考えてみたいと思います。

【生徒思いのいい先生?】顧問に殴られ続けた思い出

私が中学2年の時の話です。

私の所属していた部活の顧問は生徒にも保護者にもすごーく評判のいい先生でした。

担任でもあり、私の所属する部活の顧問でもあったその先生(当時30代男性)は
クラス内や授業の際は明るく楽しい先生で通っていましたが、部活を指導する際は
人が変わったように厳しくなりました。

それでも、うちの中学はテニス部は強く有名だったのでそんなもんだという感じで
むしろ保護者たちからは熱心な指導と評価も高かったのです。

私は部活の朝練や土日の練習によく遅刻していました。
どんなに早く起きて頑張って家を出るようにしても10回中4回は遅刻していました。

遅刻すると必ず強く怒鳴られていましたが、次第に面倒になったのか先生は言葉すら
私にかけることはなくなり、ひたすら罰として命じられたグラウンド10周を走っていました。

ちなみに私は遅刻してケロっとしていたわけでは決してなく、 むしろ泣き泣き先生の所へ謝りに行く
感じだったんですが…。。

まあ先生も呆れてはいたんだろうと思います。

そんなある日。部活で早朝に学校に集合してそのまま車で市外の学校に練習試合に
行く日にほんのちょっと遅れてしまいました。ほんの数分だったと思います。

しかし、既に学校には男子テニス部しかいませんでした。

焦って仲間を探し回る私を見た男子テニス部の顧問が

「どうせ試合先は一緒だから乗せてってやるよ」
と言われたので、お言葉に甘えて乗せてもらいました。

現地に着き、男子テニス部の顧問がうちの先生に置いてきぼりだったみたいだったから

乗せてきたと言ったとたん、私は思い切り頭を殴られました。

私はすぐにすみませんでした、すみませんでした、と何度も謝りましたが
「お前帰れよ。別に要らないから」「今すぐ帰れ」「俺に恥かかすなよ」と何度も言われ
とにかく謝るしかありませんでした。

その間も何度も殴られ、頭がぼーっとしてきたところで近くにいた他の顧問が
「もういいじゃん、その辺にしときなよ」と慰め、「もういいから向こういってな」と
促したので頭を下げてその場を去りました。

遅刻した方が悪い?

上記の文を読んで「それは遅刻した方が悪いでしょ」「自業自得」
という人もいるかもしれません。

私自身、当時は(遅刻した自分が悪いから、殴られても仕方ない)と思うことで
心の痛みを取り除こうとしました。

私は(発達障害なのもあり)時間配分が苦手です。
当時は発達障害だと誰もわからなかったので、ただただ私が怠け者であると
周囲は思っていたでしょうし、私自身そんな自分が大嫌いでした。

中二男子が自殺した今回の事件と発達障害は無関係ですが、

彼が教師から強く叱責されたのも宿題を忘れたことが原因でした。

つまり、私も彼もルール違反をしたわけです。

違反者はどれだけ強く叱責を受けようが、殴られようが仕方ないことなんでしょうか。

そもそも(ここが重要なんですが)、

ルールは何のために・誰の為に存在するんでしょうか?

ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私 (知恵の森文庫)より

【学校という異世界】ルールは何の為に存在するのか?

学校に関して、最近こんなニュースもありました。

今まさに、これまであったルールを今一度見直すチャンスを与えられているのだと思います。

髪を黒く染めることを強制するのは教師たちが『ルール』を遵守するために必要なことなのでしょう。

学校というところは社会生活を学ぶために行くべきだと昔よく大人たちに言われていましたが、
大人になってから振り返ってみると、学校という場所はかなり特殊なルールが

まかり通っている場所なのだと気づきました。

先生が生徒に教えられることは、

「遅刻すると周囲に迷惑をかけるから気をつけよう!」

という事であり、遅刻すると暴力を奮われるということではありません。

それと同様に、宿題というのは学力向上のために出すのであって
生徒を苦しめるためにあるのではありません。

当たり前のようで、これがわかってない人(というより、忘れている人)が
ものすごく多い気がするのです。

それだけでなく、多くの学校で「スカートは膝丈何センチ」

「(気温に関係なく)夏服は6月から冬服は10月15日から」

「髪の毛は長い場合は黒か茶のゴムでくくる」

「靴下のワンポイントは直径〇センチまで」

など、取り上げればもっと細かなルールが存在しますよね。

細かいルールといえば、軍隊がそうなのだそうです。

軍は(自衛隊も含め)ものすごくルールが細かく存在します。
ルール違反は厳罰があり、そこには一切の考慮はありません。

軍隊にルールが多く存在するのはワケがあり、
あえて厳しいルールにすることで隊員の統制をとっているからなのだそうです。

同じルールを共有させることで仲間としての意識を高め、
また命令が行き届きやすくなるのです。

つまり、ルールをマインドコントロールの道具として使っているわけです。

学校は勉強をしたり、部活動に励んだり、友達と遊んだり喧嘩したり

出来る子どもたちにとっては重要な教育の場であることは間違いありませんが、

そのために厳しいルールや罰を課して子どもの自尊心を傷つけたり、
ましてや死に追いやったりするくらいならそんなところは行く必要もないし、
そんな場所は無くてもいいのだと私は思います。

【ミルグラム実験】先生が生徒を傷つけるただ一つの理由

しかし、ここで一方的に教師たちの責任を追及して叩くつもりはありません。

遅刻で私を殴った先生も、福井で一生徒を自殺に追いやった先生も
きっととても【模範的な】教師だったのでしょう。

私が気になるのはその【模範的な】【良い教師】がどうして生徒を傷つけ、
追い詰めたのか?ということです。

ここで私が思い出したのがかの有名な『ミルグラム実験』です。

『ミルグラム実験』とは、アメリカの心理学者によって行われた実験で、
普通の人であっても一定の条件下では残忍な行為を出来るのかということ実験によって調べたもの。

方法はいたって簡単で、
被験者には壁の向こう側にいる生徒にクイズを出すと言っておき、
間違えたりすると手元のスイッチで体に電流を流すように指示しておく。

壁の向こう側にいる人にはわざと間違えて、相手がスイッチを入れるたびに悲鳴を上げてもらう。

電圧が上がるたびに苦痛にもだえる声が聞こえ、一瞬被験者は戸惑うが
そばに立つ『権威のある人間』(白衣を着て肩書を名乗る人間)に「スイッチを押して」などと
命令されて初めは戸惑うが、次第に慣れた手つきでスイッチを押していく。

電圧はどんどん上がり、相手から反応が無くなっても容赦なく『普通の人』の手でスイッチは押された…というもの。

(この説明が分かりにくい方はWikipedia:ミルグラム実験を読んでね)

子どもが大嫌いで教師になる人はまずいないでしょう。

「子どもを傷つけてやる!」と思って教員試験を受ける人もいないと思います。

教師は多忙です。
もっと生徒と触れ合いたいと思いつつ、目の前に積みあがった問題や仕事で
切羽詰まった先生も多いと思います。

ましてや部活なんて時間外労働です。
給料にも反映されない上に、せっかくの土日のお休みは早朝から潰れることも多いようです。

特に家族がいると、本当なら自分の子どもと遊んでやりたい、奥さんの手伝いがしたいときにも
部活に時間を取られるようです。

疲労とストレスの中、生徒が遅刻した。生徒が宿題を忘れた…。

過重労働が疲労とストレスを招き、先生たちの思考をストップさせます。
そんなときに頭の中で学校のルールが、絶対守るべき社会のルールが耳元でささやきます。

『社会のルールを守れないやつは許せない。厳しくして当然だ』

『ルールを守れない生徒は許せない。先生はルールを教えなければならない』

そして暴力や暴言が発生します。

……きっと暴力を奮ったり、暴言を吐いたりした先生たちは「ルールを守っただけだ」と思うでしょう。

実際、先生たちは【ルール】を守っただけに過ぎないのです。

先生たちが暴力に至る理由は、ルールのため。

ただそれだけです。

慣習になぞって、ルールを守っているのです。

ルールとはなんだ?何のためにある?常に考えよう

私は自分を客観的に見る力、そして考える力を持ち、
自分の考えを確立することが悪しき【ルール】を破る方法だと思っています。

規則というのは不便で堅苦しいようにも見えますが、
実は規則の中にいる間は心地よいものなんです。

自分は規則を守り、正しい人間である、という心地よさ。
ルールを守ることでルールに守られているという安心感。

しかしそのせいで、ルールからはみ出た人間をとことん攻撃してしまうのです。

あなたが肩まで浸かっている当たり前や、ルールは何のためにあるのか?

誰かを傷つけていないか?

常に考える必要があります。

それは難しいことかもしれませんが、無駄なことではないと思うんです。

あなたはどうですか?

森雨でした。

 

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