こんにちは、森雨です。

久々に漫画の紹介をします。
今回ご紹介するのはよしながふみ著『愛すべき娘たち』という作品です。

女性にまつわるエピソードが入った短編集になります。

よしながふみさんといえば、『大奥』なら知っていました。
あと、最近では『きのう何食べた?』などですかね。

(ファンの方、あまり詳しくなくてすみません…)

『愛すべき娘たち』は、毒親関係の著書でおなじみの斎藤環さんの
母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)で紹介されていたので参考に読ませていただきました。

母という痛み・娘という痛み

常々思っていたことなんですが、もしも!

もしも母が母としてでなく職場の先輩だったとして、うまくやっていけただろうか?

母が私に仕事の指示をしたり、たまに嫌みを言ったりして、私は「すみません」なんて
言いながらコピーを取ったり電話に出たりする。

そんな関係だったらうまくいっていただろうか?

つまり、個人同士の付き合いだったら、一定の距離を保ててもしかしたらいい先輩として
母のことを尊敬して見れたのではないか?

なんて考えたりします。

娘と言うのは、結局母の性格を誰よりも理解し、受け入れる(受け入れてしまう)存在なんだと思います。

母を許し、愛してしまうからこそ、それが一定の限度を超えて閉まった瞬間からは
心から許せない存在になってしまうんじゃないかと思うんです。

母は否が応でも母として娘と接しなければならないという痛みがあり、
また娘はそんな不出来な母の影を背負って生きていかなければいけないという痛みがあるんですよね。

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『母というものは要するに 一人の不完全な女性のことなんだ』

娘に対してどう接するか、というのを深く考えたことのある親なんてあまりいないのかもしれません。

ただ、子どもが(娘・息子も含め)親の言動によって自分の容姿や人格がどういうものであるか、
どういう風に他者にみられているかを客観的に見る重要な材料としているのは当然です。

私は母に以前「あんたは太っているわね」「また太ったわね」と会うたびに言われていて
自分がどれだけ太ったのかを気にして恐ろしくて体重計に乗ってなかったんですが
思い切って友人や彼氏に「太った?」と聞いたら全然!と言われたので体重計に
乗ってみたら数年前から全く変わらずの体重でした。

当時母は私が1人暮らしをはじめ、大学生活をエンジョイしているのが気にくわなかった
ためにそういう発言をしていじめていたんでしょう。
今なら多少理解できるんですが、当時は(お母さんが私をいじめるなんて)と性懲りもなく思っていたので
そんなこと考えもしませんでした。

だから(私は太ってるんだ…)と真に受けて気に病んでいたんです。

姉はもっとひどくて、父に「顎が出ててみっともない」なんて子どものころから写真を撮るたびに
言われていたのでかなり大きくなるまで不自然なまであごを引いて写真に写っていました。

親を完全な人間だとして見ていた証拠です。

親が不完全だと知っても、親を愛すことは出来ない

これは毒親を許すか、許さないか?という問題にもつながるんですが、

私は親を許すか許さないか?という次元をとっくに通り越しています。
それは多くの毒親育ちの同志たちも一緒ですよね。

許しても許さなくても親は変わらないし、

親はいつまでも親の位置からは移動できない。
娘も娘の位置からは移動できない。

そうなるとどこが「動かせる」かというと、もう娘でない「親から自立した自分」だけなんですよ。

私みたいに親と絶縁していると彼らの「娘」の枠からは自由に出ることが出来るので
好きに自分の人生を創っていくことが出来るのです。

親も私みたいな娘の「親」からの枠からは外れていいはずなんですが、
まあいつ外れるかは私の関知するところではないので好きにしていただきましょう。
(もう外れてどっかいってるかもしれないね)

明るいことばかりじゃないけど、どこか前向きになれる漫画

「え? 漫画の解説になってないって?」

すみません、でも解説なんていらないくらいいい作品でした。

母と娘についてのことだけ私は触れたんですが、実際はほかのエピソードもいくつか
入っています。そちらもすごく良かったのでぜひ興味がある人は読んでみてください!

森雨でした。