私たちの上に重くのしかかる『自己責任論』と優しい社会の成功者たち。

考えたこと
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こんにちは、森雨です。

今月、映画監督・脚本家の高畑勲さんが亡くなりショックを受けました。

実は3年くらい前にまだ息子が生後半年くらいのころ夫の仕事の関係で監督とその奥様と幸運にもお会いする機会がありまして、そのとき息子を抱っこしてもらったりお話したりと楽しい時間を過ごしたんです。

ご夫婦とも、ニコニコ笑ってらして終始穏やかな雰囲気で、あの『火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』、『ホーホケキョとなりの山田くん』『かぐや姫の物語』などの名作を次々生み出されたというのも納得でした。

偶然にも亡くなる報道の前からずっと『火垂るの墓』について考えていました。

実は今の私の自宅は『火垂るの墓』の舞台となった阪神間のそのあたりなのでその近くを通るたびにも節子と清太のことを思い出したし、

ここ最近の日本の右傾化するころから何となくずっとしつこく考えていたんです。

『火垂るの墓』と自己責任論

これまで一度は『火垂るの墓』を観たことがありますよね?

数年前まで夏の終戦記念日あたりには必ずテレビでも放送されていました。

私は今まで何度も観ましたがいつ見ても4歳の節子と14歳の清太の辛すぎる運命に涙して、戦争は絶対に理屈抜きに繰り返してはいけないと子どもの頃からそう思ってきました。

西宮のおばさんは節子たちにはお米を与えてくれないし、親を亡くした二人に対して冷たすぎるし、きつすぎるしで
(西宮のババアめ…)と憎んだ人も多いでしょう。

そんな人の元にはいられないとおばさんちを飛び出した清太でしたが、家もなく、身寄りもなく、食べ物も手に入らない状況(物資自体が不足していた)でみるみるうちに節子は衰弱して悲しい最期を遂げるのです…。

そんな悲しいお話ですが、ネット上では

「清太が悪い!ボンボンで世間知らずだから死んで当然!」

「清太が働いておばさんにたてつくようなことが無ければこんなことには」

「節子を殺したのは清太!」

と散々な書かれようでした。

私はこの書き込みを見たとき驚き、また『自己責任論』がここまで来たかと呆然としました。

どこからどう考えても悪いのは清太ではなく、戦争です。

まだ14歳の清太と4歳の節子から母親と父親を奪ったのは戦争です。

親を亡くして死にかけた子どもたちを平気で放置して見殺しにしたのも戦争(とその社会)です。

 

極端だと言われるかもしれませんが、『自己責任論』がここまで浸透した今の日本の社会で今戦争やまたひどい災害が起きるとこの『火垂るの墓』のような悲劇は繰り返されることは間違いないです。

火垂るの墓を見て「清太の自業自得」であると唱える一定の層。

いや、この層は思ったよりたぶん、厚い。

私はこの「厚顔無恥な」でも着実に広がりつつある層に危機感と恐怖を覚えます。

自己責任論と毒親育ち

去年の話になりますが、サッカー元日本代表の本田圭佑氏が自殺する若者に向けてTwitterで「人のせいにするな!」と書き込んで炎上しましたよね。

私は発達障害者であり、幼少期の経験から愛着障害となり、未だに色んなものを引きずっている立場(成功者からすれば「人のせいにしている敗者」)からすれば、

自分がいかに恵まれているかわからないがゆえの「自己責任論」だなという感じです。人の痛みが分からないという人としての欠点を露呈しているようなもので、正直、気の毒ですらあります。

いやでも、成功者は努力している、という当たり前の事実は事実としてあるんでしょう。

しかし、逆に言うと努力していない人間は成功者ではない。

例えば幼少期から周囲の大人たちにも友達にも恵まれ、愛され、自己肯定感をグングン伸ばしてこられた人と、

幼少期のころから機能不全家族に囲まれ、また虐待され、何をしても褒められるどころか頭ごなしに弱点を探して否定されるような環境で育った人とは決定的に生き方が変わってきます。

前者が【4】努力することで達成するようなことが
後者は【15】努力してでも子どもの頃から根付いた精神的なものが邪魔して達成出来ないかもしれない。
「自己責任」と笑い、罵る人は後者の気持ちがわからない。

その理由は「自分がいかに恵まれてきたか」ということすら気づかないから。

恵まれていたという感覚が無い人は誰かにそれを還元することすらできないんです。

あなたの「努力」で得られたものなんて何一つない

(これは環境問題を考えたときにも感じることなんですが…)

例えばあなたが休みの日に楽しくショッピングをして流行りの服を買うとする。

有名格安ブランドの洋服はみな大量生産・大量消費です。

東南アジアの人件費が安い国で、みな食べるのがやっとという中、空調の効いてない工場で女たちがミシンを1日中動かして汗まみれになりながらあなたの買った服を縫います。

男たちはその服を朝から晩までトラックで運び、飛行機で輸送します。有毒な染料は子どもの遊ぶ川に流れ、貧困は貧困を生みます。

安く買いたたかれた人件費と燃料費は多くの子どもたちの権利を奪うことになるかもしれない。

あなたが指定された金額を払うことで手にしたその服は、果たしてあなたの努力で得た「服」でしょうか。

買い物の合間にコーヒーを飲むかもしれません。

そのコーヒーには多くの人の手がかかっています。コーヒーを育て、摘んだ人の賃金はきっとあなたの得た賃金より安い。

それは積んだ人の努力不足でしょうか。

あなたはあなたの「努力」で果たしてその水準の生活が出来ているのでしょうか。

あなたを救う人がいる。あなたは誰かを救わなければいけない

自分の努力で成しえたものなど何もない。

私はブログをしていて、なんとかブロガーとしての収入を得ています。でもこれは読者の方がいるからであって、自分が努力したからではないんです。自分の環境に恵まれているからこうして書けるんです。

優しい夫や息子や周囲のたくさんの人が私を助けてくれるから生活できているわけです。

だからこそ、毒親育ちや同じ気持ちを抱いて苦しんでいる人たちに向けて少しでも手助けになればと思います。人にしてもらったぶん、誰かに還元することで社会は回ってるんだと思います。

「自己責任論」は誰にも還元できない人の身勝手な思考です。賢いあなたが決して振り回されないように願います。

最後に、オバマ元大統領のこんなスピーチを置いておきます。

(翻訳)私がいつも驚かされることがあります。(自分が成功したのは)単に自分がとても賢かったからに違いないと考える人々がいるということにいつも驚かされるのです。賢い人々はたくさんいます。そして彼らは自分たちがほかの人々より頑張ったから(成功したのだ)と考えているのです。一つ言わせていただきたい。あなたたち以外にもたくさんの働き者がいるんですよ。

もしあなたが成功者だとしたら、誰かがどこかのタイミングであなたのことを助けているはずです。そして、人生のどこかで、あなたは偉大な師と出会っているはずです。あなたが繁栄することを可能にしているこの素晴らしいアメリカのシステムですら、誰かの助けによって生み出されたものなのです。誰かが道路や橋に投資をしました。もしあなたが事業を起こしたとしても、それはあなた(だけ)が建てたものではないのです。ほかの誰かが、それが起こることを可能にしたのです。
(原文)I’m always struck by people who think, well, it must be because I was just so smart. There are a lot of smart people out there. It must be because I worked harder than everybody else. Let me tell you something — there are a whole bunch of hardworking people out there.
If you were successful, somebody along the line gave you some help. There was a great teacher somewhere in your life. Somebody helped to create this unbelievable American system that we have that allowed you to thrive. Somebody invested in roads and bridges. If you’ve got a business — you didn’t build that. Somebody else made that happen.

森雨でした。

追記:子どもの権利

この記事は反響が大きくて、コメントを含め色んな鋭い意見をいただきました。そこで改めて私の考えを書いておきます。

まず、清太が海軍の偉い人のお坊ちゃんであることと清太たちの権利が迫害されることは関係がありません。いくら戦況が悪いからと言って子どもたちが餓死して死ぬようなことがあっていいわけがないんです。

戦争という特殊な状況である、ということを考慮したくなる気持ちはわかりますが、だからと言って大人が子どもから親や住居や食べ物を与えなくていいという理由にはなりません。

上の写真は写真家土門拳の写した戦後の浮浪者とその子の写真です。

戦後、守られるべきであった子どもたちが居場所も食べるものもなく浮浪児として街にあふれました。差別を受け、施設に入ったところで激しい虐待を受けて逃亡した子どもたちに誰が今「自己責任」と言えるでしょうか。

清太に自己責任だと言うということは、現在も深い心の傷を抱えて生きている多くの浮浪児たちに「戦争だったんだからもっと努力できたでしょ?」と言っているのと同じなんです。

戦争は多くの人の生きる権利を奪います。同時に、戦争は子どもの権利をいともあっさり奪うことになるんです。

コメントの中で子どもの家出問題についても言及されていた方がいました。

先日NHKスペシャル「#失踪 若者行方不明3万人」で知ったんですが、家出をする若者は一年間で3万人いるとのこと。

これは清太の件とは一見関りがないように見えますが、この子どもが家出をする件に関しても私は「子どもの権利が迫害されている」と感じます。

つまり、毒親の問題にも関わりがあるんです。

子どもの意志を無視すること。

まだ社会で生きる力を与えられていない未成年者に対し、「出て行け」などと暴言を吐いたり、居場所を奪うこと。

子どもに暴力を振るうこと。

子どもを放置して食事を与えないことや世話を怠ること。

清太と節子が受けたのは虐待とネグレクト以上のものです。保護を受けるべき子どもを放置したのは大人の責任です。

「自己責任」を子どもに振りかざすこと自体が間違いなんです。

そして『自己責任論』を振りかざす多くの社会の目に関してなんですが、これは確かに大変に憂鬱なことです。よくわかります。

『自己責任論』に妙な説得力を感じるものです。簡単でわかりやすい論理に人は魅力を感じます。

しかし、騙されないでください。正論というものは人によって違うものですし、答えはいつも一つではありません。

100人の(ごく無知な)成功者が自己責任だと訴えても、マイノリティを抱えるあなたは違うぞ!と異を唱えてください。

その小さな声は『自己責任論』に泣かされている多くの人を救い、また世界を一歩平和にします。(大げさでもないです)

哀しいかな、結局人は同じ立場にならないとわからないことは多いんです。

想像力を働かせて相手の立場にたち、思いやりを持てる自分であること。

素敵な人というのはこういう人のことを言うんじゃないでしょうか。

森雨

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14 件のコメント

  • こんばんは。はじめまして。ちょっと駄文を書いてみます。
    戦中戦後の食糧難の時代に青少年期を過ごした昭和2年生まれの父が常々言ってました。
    「飢えほど恐ろしいものはない。飢えれば人は倫理も、自尊心も、愛情も全てを失い自己保身のためなら何でもするようになる。戦争が恐ろしいのではない戦争による飢えが恐ろしいのだ。」
    確かに過去の飢饉の記録にも「人々飢えて相食む」との記述があります。
    父は更に言います。
    「飢えの本当の恐ろしさは経験したことのない者には絶対に理解できない。」

    「火垂るの墓」の原作者の野坂昭如氏は昭和5年生まれですから父と同世代です。
    野坂昭如氏は現実に自己の妹を栄養失調で亡くしており、その贖罪と鎮魂の意味も込めて本作を執筆したようです。また、氏は妹の食糧を奪って食べたこともあるようです。もちろんそれが妹の直接の死因ではないでしょうが、父の言葉と合わせて考えると氏が亡き妹に対する贖罪と鎮魂を込めた事情がなんとなく推察できるような気がします。特に作中で兄の清太を餓死させたのは、現実にはおめおめと生き長らえてしまった氏の自己懲罰のように思えます。

    「あの時代、あの世代から我々が学ぶべきことは何か?」が本作の受け取り方かと思いますが、なんとなく私には「自己責任論」とか「反戦論」のような括り方に違和感を覚えます。
    「飢えという極限状態に直面したときに人はどこまで人たり得るのかはたまた野獣となるのか?」そんな恐ろしい声が地の底から聞こえて来るような気がするのです。
    自然人類学によると「人と他の霊長類との違いは人は食糧を分かち合うことである」そうです。もちろん人々が手を携えて共に生きられる社会であるに越したことはないのですが、飢えに悩まされてなお自己の食糧を差し出して他と分かち合うことができるというのは幻想かもしれません。
    本作に「分かち合えるならば、それは飢えてはいないからなのだ。」と餓鬼が嘲笑うような不気味さを感じています。

    お目汚し、失礼しました。

    • 餓鬼の遣い様

      初めまして、森雨です。

      >「飢えほど恐ろしいものはない。飢えれば人は倫理も、自尊心も、愛情も全てを失い自己保身のためなら何でもするようになる。戦争が恐ろしいのではない戦争による飢えが恐ろしいのだ。」
      食糧難の時代を生き抜かれたお父様の言葉は重いですね。
      確かに、戦時中は「飢えて」いたんだと思います。戦時下の状況下において、火垂るの墓のような状態になるのは「致し方ない」と言う部分ももちろんあると思います。

      >本作に「分かち合えるならば、それは飢えてはいないからなのだ。」と餓鬼が嘲笑うような不気味さを感じています。
      本当に飢えている人間、というものを飢える苦しさを知っている人間が救う…というのは確かに幻想かもしれません。
      ただ、私はその幻想を信じたいんです。例えそれが偽善であったとしても、傷つく人に手を差し伸べられる人間の存在を信じたいんです。

      コメントありがとうございました。

  • 私も記事、読ませていただきました。
    最近勤めていた会社が倒産。普通にあることでしょうが、私のように会社になかなか馴染めず転職をくり返している者にとってはとても辛い春になりました。そして新しく入った会社も辞める予定です。
    カウンセリングも受けたことがありましたが、あなたは社会に慣れていないだけ、問題ない、とのこと。しかし気が弱いからか、経営者から厳しく言われることが多く、その人の話を聞いていると、やはり成功者は堂々としてる、そうなれなかった自分が悪いんだと、今日、しみじみ考えていたところ、この記事を読んで、違う、私は悪くない! と、涙が溢れてきました。
    確かに、私の気持ちを心から理解してくれる人はあまりいません。そして、弱い立場、恵まれない境遇の人たちが、自己責任などと突き放され、遠くに押しやられてしまう世界を想像したら、寒々しく、恐怖さえおぼえます。
    森雨さんの記事にはありがとうと心から言いたいです。励まされ、また、私は私として成功してない人間でもしっかり生きていかないと、と思えました。
    私もいつか、同じように懸命に戦ってる人をなぐさめられたり励ましていけたらいいな、と思います。

    • サンテン様

      初めまして、森雨です。
      会社の倒産から今まで、大変でしたね。お察しします…。

      記事に共感していただいてありがとうございます。
      誰もが住みよい社会というのは、勝者だけのものでは決してありません。
      私やサンテンさんが働いたり、生活をする中で喜びを見出せる社会が本当の「社会」なんです。

      >私は私として成功してない人間でもしっかり生きていかないと、と思えました。

      今の苦しみや経験はこれから誰かを救うことになるかもしれません。
      お互い頑張りましょう。かげながら応援しています!

  • 火垂るの墓の悪評が立っているのが目について気になってググってたらここにたどり着きました。
    記事を読んでふと思ったことがあったのでカキコします。
    火垂るの墓で、二人がああいった状況に陥ったのが清太せいなのだとすると、最近問題になっている家出少女がSNSなどで知り合った男の家に泊まる事案なんかも、どんなに家庭環境が酷くても子供は我慢して家にいろ、ってことになっちゃってこれはとても違和感があると思いました。
    家出少女の事案は、世間的にはそういう家庭にした親が悪いと評価していると理解しているんですが、それなのになんで清太に責任があるという見解を持つ人が現れるのか。
    おばさんが悪い→いやおばさんも自分の家族で手がいっぱいだから、しょうがない→だから我慢できない清太が悪い、ってなっちゃって、そもそも戦争がなければこんな状況になってない、ってところまで想像できていない、ってことなんでしょうかね。

    • 保田乃葉花さま

      初めまして、森雨です。

      >家出少女の事案は、世間的にはそういう家庭にした親が悪いと評価していると理解しているんですが、それなのになんで清太に責任があるという見解を持つ人が現れるのか。

      表向きは親が悪いということは分かるんでしょうが、分かると理解できるというのは違うので「頭ではわかっているけどやっぱり子どもが我慢してくれたほうが丸く収まる」という考えなんだと思います。火垂るの墓に関して言えば、戦争についての状況が現代では想像できるからこそ節子を守る方法を選択出来なかった清太を非難する気持ちがあるんでしょうが、いかんせんその「戦争なんだから清太が我慢すべき」という考えが完全に大人目線の価値観なんですよね。そこの部分を理解することが出来ない、節子を死なせたという(そもそも節子は清太のせいで死んだわけではないけど)感情論からの「自己責任論」なんだと思います。

  • こんばんは。
    今回で感想を書くのは2度目です。

    努力で得られたものは何もない……
    一瞬努力そのものを否定するものかと思ったら、内容見て納得しました。

    確かに自分の周りの成功者や実力者は
    環境が恵まれていた、運が良かったのだと思うとふに落ちますね。
    そしてそういう方たちは自分がいかに恵まれた環境にいたのかを理解せず、逆の環境で育ってきた人を貶したり責任を押し付ける発言をしたりするのを最近会社で目の当たりにし、憤りを感じました。
    その人が会社をたった数ヶ月で辞めたのは、その人のことを理解せずフォローも不十分だったからなのが何故分からないのか、何故その人がおかしいからと思うのか、と考えていました。

    ただ私たちのような運も環境もなかった人たちが、この自己責任論がはびこる日本でどうやって生きていけばいいいのかと考えることもあります。
    雨さんならどう思いますか?

    • TOY様

      こんばんは。

      >ただ私たちのような運も環境もなかった人たちが、この自己責任論がはびこる日本でどうやって生きていけばいいいのかと考えることもあります。
      雨さんならどう思いますか?

      自己責任論を唱える人間を無視する事です。笑
      「想像力がないんだなー」程度でサラッと流すことです。

      私たちには運が無かったし、その運が発生する環境すらなかったのは事実ですが、
      これから運を良くしていくには前向きに頑張るしかありません。

      そのためにもマインドフルネスをして、自分の嫌だと感じる人や物事を出来るだけ避けて
      生きていくことです。

      …とはいえ、それがなかなか難しいんですよね。。
      お互い頑張りましょうとしか私も言えません( ;∀;)

  • 私も筆者様の意見に共感します。しかし、日本は保守思想の国です。自民党は勝ち続け、そういう思想観の人間が有名民間企業にたくさんいます。日本人は恐ろしい民族です。子供の頃、日本人は残虐だという戦争中のアメリカ人の意見がわかりませんでしたが、今はよくわかります。しかし日本で生きて行くしかなく、どうやって生きていけばいいのか分かりません。周りには施せば施すほど、私を都合よく利用する保守的な人間ばかりなのです。どうしたらいいのでしょうか。

    • 読みました様

      初めまして、森雨です。

      そうですね…。よくわかります。
      保守的なこの国だからこそ、長いものに巻かれてしまいがちなんですよね。
      その割に感情まかせなところもあったりしますしね。

      >周りには施せば施すほど、私を都合よく利用する保守的な人間ばかりなのです。

      そういう人はよくいますよね。私も嫌な経験をしたことがたくさんあります。
      ただ「してやったのに」と思うとどうしても気分が晴れないので出来るだけ考えないようにしています。
      そうしているとたまに誰かが自分に親切にしてくれたとき余計に嬉しくなったりするものです。

      どうもしなくていいです。
      このまま読みましたさんが思うように想像力を働かせて周りに施していってください。

  • はじめまして、森雨さん。

    たまたま、ネットの記事を無造作に検索していて目に止まり、至極共感したゆえ、
    コメントさせていただきました。

    昨今、私の周囲でも森雨さんがコメントされた自己責任論の考え方が頻出していると感じます。まさに個人の努力のみで成就される事象や事柄などないと私も思います。さまざまな人的、物的、偶発的、環境的な影響を受けて物事が成されている事を、私たちは理解しなくてはならないと考えています。

    未来の社会が他者(他の命あるもの全て)との共存をより意識し、互いに共助の世の中になる事を願うばかりです。

    • ゾル様

      初めまして、森雨です。

      記事に共感していただけたようでこちらも嬉しく思います。
      「自己責任」を押し付けてくる人というのは今突然出てきたわけではないと思うんですが、
      ネットの普及によってそういう人たちの声が徐々に大きく聞こえるようになったのも一つの原因ですね。

      誰もが考えや思いを主張できる不安定な今の世の中だからこそ、お互いを思いやる気持ちが重要だと私も思います。

      コメントありがとうございました。
      時間があるときにでもまた他の記事もご覧ください(^^)

  • こんにちは。
    以前から記事読ませて頂いておりました。
    ときにおもしろく、とても読みやすい記事で関心しておりました。

    いきなりですが今回は少し思ったことを長文で駄文コメントになりますが
    お許しください。

    自己責任論について
    私が子供のころも同様に「おばさんやなやつ!」と思っておりました。
    ですが、大人になり大人の考え方になってきたのかやはり
    「セイタもう少し我慢して」と思うところもあります。
    それは日本の社会で生きていく上で考え方が変わってくるのも
    仕方がないことだと思います。
    大人の考え方、価値観になった証拠なのかなと。
    子供のころに火垂るの墓を見た人も社会人になり
    生きてく上で色々なことを我慢して、我慢できたことが
    成長したと自信になり
    結果、もうセイタにはもう少し我慢してほしい、となるのかなと思います。

    私みたいな考え方でも、節子と母親と父親を奪ったのは戦争で
    おばさんの性格を意地悪くさせたのも戦争で
    戦争が全て悪いのは、皆わかっている事なのではないのかなと
    思います。

    その中でも生きていくため(節子を守るため)には
    「セイタもう少し我慢して」と思ってしまいます。結果を知っているだけに。
    娘、息子を持つ親で
    「死んで当然」「節子を殺したのはセイタだ」と言う人はいないし
    言っているのは中学生?(考え方含め)あたりかなと個人的には思います。

    ですので森雨さんが
    厚顔無恥な人が着実に広がりつつある層に危機感と恐怖を覚える必要は
    ないのでは?と思います。

    以前の記事にある本田圭佑の話になりますが
    私はこの選手好きではありませんし、どうでもいいのですが
    少し上から目線だけど現状逃げたい人等を勇気づけたくて
    ツイートしたのではないかと勝手にですが想像しています。

    励まし方、され方等に相手がどう受け取るかで
    その反応も違ってくるのかなと。
    私もこのツイート上から目線でなんかな・・・。と感じたことも
    ある人には「感動した!その通りだった!」と感じる人もいるでしょう。

    仮に劣悪な環境で育った人が言っていたらきっと受け取り方も違くなるでしょう。

    同じ発言でも受け取り方で180℃変わってしまうと思います。

    ちなみに
    本田さんが「幸せな家庭で育った人」とは全く正反対な
    劣悪な環境で育ったことは有名です。

    あ、本田さんって言っても知り合いの女性ですけど・・・。

    ごめんなさい。長くなりすぎました。

    最後に
    自己責任論、オバマスピーチに関係なく、全て本人の
    考え方次第なのかなと思います。

    自己責任論の主張が強い人も、実は食べ物、周りの人等に
    人一倍感謝して、幸せを分け与えてるかもしれませんしね。

    • とおりすがり様

      初めまして、森雨です。
      さっそくお返事させていただきます。

      >大人になり大人の考え方になってきたのかやはり
      「セイタもう少し我慢して」と思うところもあります。
      それは日本の社会で生きていく上で考え方が変わってくるのも
      仕方がないことだと思います。

      まず、清太は14歳の子どもなので大人の目線で「我慢して」というのは少々無理があるかと思います。
      そして14歳の親と家を一度に失くした清太に責任を強いたその当時の環境も考慮しなくてはいけません。
      今の日本社会では理解しがたい過酷な環境にいたことは間違いないので、その部分をもってして戦争という反省すべき状況に
      追い込んだ社会と大人たち(西宮のおばさんや軍人である親含め)に責任はあっても清太には責任は無いかと思います。

      >「死んで当然」「節子を殺したのはセイタだ」と言う人はいないし
      言っているのは中学生?(考え方含め)あたりかなと個人的には思います。

      いや、中学生ならまだいいんでしょうが。「立派な大人たち」が言っているのは事実です。

      >自己責任論の主張が強い人も、実は食べ物、周りの人等に
      人一倍感謝して、幸せを分け与えてるかもしれませんしね。

      だといいんですが…。
      まあ他人の培った価値観や考え方を変えることは出来ないので出来たら出来るだけ避けたいですね。

      コメントありがとうございました。

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    夫と3才男子、猫と暮らす凸凹主婦。 結婚を機に実家家族と絶縁。毒親育ちで子育てする苦悩や葛藤の中から、考えたことや発見したことを綴っています。 趣味は銭湯通い。