「発達障害グレー」ってどういうこと?子どもの個性と『集団生活』は共存できないのか?

発達障害(ASD・ADHD)
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こんにちは、森雨です。

あなたは『発達障害グレーゾーン』についてどう思いますか?

私は一応診断をテストで受けたうえで発達障害者だと診断を受け、療育手帳も取得している身なんですが最近よくテレビで聞く『発達障害グレー』という言葉に違和感を感じていました。

今回はうちの子ども(息子・3才)のことと合わせて考えてみたことを書いていきたいと思います。

目次

『発達障害グレー』って何?どの程度をいうの?

私は常々疑問に感じていたんです。

NHKなんかで最近発達障害について詳しく取り上げられるようになり、ネットでも「発達障害です」「発達障害グレーの子どもがいます」という書き込みをする人がすごく増えました。

私が発達障害の診断を受けたときはそこまでここまでメジャーじゃなかった『発達障害』という言葉も世の中に徐々に浸透してきて、

「もしかして私も発達障害があるんじゃ?」

と思う人が増えたのもあると思います。

また(なんかうちの子発達障害かもしれない…)と思ったり、周囲の人が(あいつなんか違和感あるな…発達障害なのかな?)と勘ぐったりするようなことも以前よりずっと増えたんじゃないかと思います。

そんな中で「発達障害とまではいかないかもしれないけど…」という意味で
『発達障害グレー』という言葉が出てきました。

発達障害と健常者の間の人

発達障害という診断までではないけど、つまづきが多い子

そんな意味で使われているんだと思っていますし、実際そういう意味で使われているんだと
思います。

「グレーゾーン」の子どもとは、知的な遅れがないか、あってもごく軽度のもので、社会的、対人的、学力的、そして行動の適応に何らかのつまずきが見られる子どもを指します。家庭や集団生活の中では、先ほど挙げたような「ちょっと変わっている」特徴を示すことも多いものです。

【出典:発達障害?それとも個性?-グレーゾーンの子どもたちー

割と多いのが子どもの場合で幼稚園、保育所、学校なんかで「ちょっと他の子より個性的な子」を区別するために使われています。教育機関でも「グレーゾーンです」ということで、支援が必要かそうでないかを見守っている状態であるのだと想像します。

きっと必要に応じてそういう言葉が生まれたんだという、そういう経緯自体は理解できます。しかし、私は当事者としてこの「発達障害グレー」という言葉に違和感を感じるんです。

他の子と違う!と言われた息子の話


今から書くのは息子のことです。

息子は赤ちゃんの時からわりとこだわりを持っている子でした。

でも癇癪等は無く、発達の遅れなんかは感じたことは無かったんです。ただ、親の前ではいつもお調子者で、楽しいこと大好き、好きなことが好き!と自分の興味を持ったことに一心不乱に取り組む部分がありました。

集中力があるかと思いきや、自分の興味の無いことは一切集中しませんし、やらせようとしても気が散って出来ないことも多かったです。

例えば、お遊戯のダンスはほとんどみんなの前ではやりません。歌もなかなか歌いません。

親の前では完璧にできることも、他の人の前では期待通りに出来ないことが多かったんです。

以前も書きましたが、お着替えやトイレトレーニングや靴を履くことについて保育園で「出来ないと困ります」と言われて大変焦りました。

夫にやめろと言われても半ばスパルタでやっていた時期もありました…。(記事参照)

それでも毎日少しずつ出来ることが増えていったし、家ではベラベラ喋るし、活発だし、よく笑って可愛いので私は常々「うちの子ってほんとええ子やわ…」「うちの子天才かもしれんわ」と鼻息荒くしていたんです。

しかし!

先日、保育園の面談で先生に

「保育園ではほとんどしゃべりません」
「お着替えも遅いし、みんながダンスしているときは他のことをしたがります!」
「息子くんはとっても気が散るタイプなんですよね」
「歩くときもまじめに歩きません」

などなど…もうそれはそれは色々ダメ出しを受けたんですよ。

私たち親が「まあいつか出来るようになるだろ」と長い目で見ていることも、一度集団に入れてみるとこういう風に出来ないことが目立つようになるんだな…と汗をかきながら先生のお話を聞きました。

「息子は保育園で出来ないことは家ではちゃんとできるんですよね…。毎日しっかり親とは会話するし、歌も歌えるし、集中できることも多いんです。歩くときも多少ダラダラ歩きますが、急いでるときは一緒に走ってくれます」

「友達も園の他の友達とは喧嘩もしますし、話しますし、一緒に遊びます。決して協調性がないと思ったことはないです…むしろ親からすればびっくりするほど社交的で…」

と色々説明してきました。

「そうなんですねー…これから期待しときます」

と先生には言われましたが、

私は正直「(お宅の子、発達障害じゃない?)って言いたいんだろうな」(私が発達障害があるって知ってて子どもにも遺伝してるって思い込んでいるんじゃ…)と思いました。

取り合えず様子見、ということでその面談は終了しましたが私はその考えが消せず、モヤモヤがどうしても取れませんでした。

それは、親の私が息子の個性だと思っていたことを発達障害の枠にカポっとはめられたような感じがしたからです。

発達障害と個性の線引きは出来ているのか

で、さっきの話に戻るんですが、

果たして一般的に『発達障害』という名前だけが浸透してしまったこの世の中で個性と発達障害の線引きを正しく出来る人はちゃんといるんでしょうか。

そもそも、個性とはなんでしょう。

私は息子に「友達と遊んだり、話したりしないの?」と聞いてみると、「うん、○○(息子)はひとりがいい」とハッキリ言われました。

確かに、息子は以前から比較的一人で遊ぶのが好きでした。

みんながワイワイしているのを見ていると一人でテンションは上がるようで笑ったり声をあげたりはしていましたが、基本的に少人数(2人とか)で黙々と作業するのが好きそうでした。

電車関連のおもちゃが好きで、最近では昆虫にも興味があるようですが、このことも担任の先生からすれば「興味が偏っている」と言われてしまいました。

また、息子はダンスやお歌なんかをあまりうまく外で出来ないようです。うちではお母さんと一緒のブンバボン!をやってたり、保育園で覚えた歌もうるさいくらい歌ってくれるんですが、保育園では歌いません。

この部分も先生からすれば「集中して一つのことができない」と思われているそう。

こういうことはまだまだありますが、一例を出すとこんな感じです。

集団生活と個性は相容れない

まあ正直!正直私自身が発達障害なので(もしかすると息子にも遺伝してるかもしれん)と思っていたのでその部分の怖さっていうのもあるっちゃあるし、無いって言ったら嘘になりますが(嘘はダメだよね!)

でもまだ3歳の子どもに

「あんたは集団生活に馴染めないよね!お母さん困るから、もっと友達と話したりダンス踊ったりして先生の迷惑にならないようにしなさい!」

とは言いたくないんですよ。

だってうちの子いい子やもん…。私が咳してたら背中さすりに来てくれるんですよ?あんな小さい手で!( ;∀;)!

でも正直うちの行っている公立保育園の考え自体が古いのかもしれません。

以前保育園の見学で県内トップの人気園に行ったことがありますが、モンテッソーリ教育を実践している保育園で集団で何かをさせることはほとんどない園でした。

「本人が好きなことを卒園まで集中してさせます。遊びをこちらが用意していて、やりたくないことは無理にさせません」

「外遊びがいい子は外で。中で遊びたい子は中で。強制はしません」

というような感じで「今は○○の時間!」という時間はランチとお昼寝以外ないそうです。そのことを思い出して(もしあの園だったらこういうこと言われなかったのかもな)と思うとなんか辛くなります…。(息子の通っている園ではスケジュールが細かく決まっている)

でも、保育園であって幼稚園でないので合わないからとよそに簡単に転園させるわけにもいかないのです…。でもいざとなったら考えるかもしれません。

でも、小学校を追い出された黒柳徹子さんの行った『トモエ学園』みたいな学校にもし行けていたら私も人生変わっていたのかもしれないとも思います。

それにしても「個性を大切に!」「個性を伸ばそう」なんて世間はよく言いますが、発達障害という個性は一切受け入れません!というのが今の日本なんですよね。

だからこそ「発達障害グレー」という言葉でもって他と区別しないと生きづらいなんていう世の中に私は違和感を感じるんです。

【親の課題】自己肯定感をつけてやること

先生にあんまり出来ない!出来ない言われるので、ではどうすればいいか?ということを聞いてみると、

「とにかく過剰なくらい褒めてやってください」

と言われてこれまたショックでした。

実は私は褒めることがめちゃくちゃ苦手だったんです。褒めることが苦手な分、子どもを抱きしめたりスキンシップをこまめにするようにしていたんですが、

義母や夫のようにすらすら~っと褒め言葉が浮かばない自分がいました。

「すごいじゃん」
「えらいじゃん」
「かっこいい~」

褒められた経験の薄い毒親育ちの私の「褒めボキャブラリー」はそのくらいでした…。

でも確かに、息子は何かにつけて自信がないのか「出来ない!」とすぐいうところがあったのでこれから1.5割は褒めタイムを増やしていきたいと思います。

発達障害の一番困るところは、気を付けてないと自己肯定感が極端に低くなるということです。

自己肯定感が低いと、何に対しても自信がなく特性に縛られてしまいがちになりますし、そのせいで過去の失敗を繰り返し反芻したり、将来も悲観します。

「自分はこれでいい!」なんて思えないので、常に自分を否定して生き、ストレスに弱く、常に何かしらの精神疾患を抱えてしまいます…。

たとえ発達障害グレーでも発達障害でも、そうでなくても親の課題としては子どもに「あなたはあなたでいい」と伝え、自己肯定感を守ることなんだと思います。

【最後に】自律と自立は違う

最近読んだモンテッソーリ教育の本にこんなことが書いてありました。

今通っている保育園ではとにかく周りに合わせて素早く行動することが第一だと思っているようで、いつ見ても早生まれの息子は置いてきぼりがち。

でも、息子は息子なりに、周囲に注意を払いながら、考えながら行動しているなーというのが親の目からは分かるんです。

今の日本の保育環境の話をすると、確かに先生も激務だし、薄給だし確かに文句のつけようがないというか、保育園とはそもそもそういうものなのかもしれません。(私が幼少期のころは少なくともそんなもんだった)

先生が悪い!なんて思っているわけではありません。ただ、息子に限らず「出来ないこと」を集中的に見られて評価される気持ちは発達障害の私もよくわかるんです。

時間が少しずつ解決してくれると良いのですが…うーん。

森雨でした。

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