『コミュニケーション能力』の意味をはき違えている人多すぎない?発達障害者が考える本当の『伝え方』

一輪車に乗ってバランスを取っているようなもの
発達障害(ASD・ADHD)
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こんにちは、森雨です。
ご機嫌いかがですか?

梅雨時は低気圧のせいでいつも以上に気分が落ち込んだり、
イライラしたり、涙が出たり大変ですよね…

そんな時は無理せず、仕事も家事もサボって外で美味しいもの食べて
温泉入って家で寝ましょう!

メンタル弱めの人は月に最低2日はそういう日を作りましょうね(^^)/

今回は『コミュニケーション能力』に関してなんですが、
あなたは『コミュニケーション』に自信がありますか?

目次

【コミュニケーションと発達障害】communicationってそもそも何なの…?

私はあんまりないです。
正直ないです。

よく「発達障害者はコミュニケーション能力がない」って言われるんですが、
昨日ふと(そもそもコミュニケーションをとるってどういうことだろう)
考え込みました。

コミュニケーション能力、なんて簡単に言うけど、

じゃあ会社の上層部のおじさま方は本当に『コミュニケーション能力』に長けているの?
長けているから肩書持って高収入なの?

その点に関しては「みんながみんな、コミュニケーション能力は高くない」って思いますよね。

でも、一般企業に就職する際、よく就活本でも『コミュニケーション能力をー』
『コミュニケーション能力を高めるにはー』『企業はコミュニケーション能力の高い学生を』
なんて書かれている。

変だと思いませんか?

(繰り返すけど)そもそも、コミュニケーションをとるってどういうことなんだ!?

コミュニケーション(communication)とは

 社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。「コミュニケーションをもつ」「コミュニケーションの欠如」

 動物どうしの間で行われる、身振りや音声などによる情報伝達。

[補説]「コミュニケーション」は、情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意でも使われる。「親子の―を取る」は親が子に一方的に話すのではなく、親子が互いに理解し合うことであろうし、「夫婦の―がない」という場合は、会話が成り立たない、気持ちが通わない関係をいうのであろう。
【出典:goo 国語辞典

社会生活を営む人間が互いに意志や感情、思考を伝達し合うこと。

以前「発達障害者と健常者の違い」というテーマで記事を書きました。

私は一般的に言われている「発達障害者はコミュニケーションをとるのが難しい」というのを
ほぼ鵜呑みにしていたんですが(自分も自信が無かったからね)

そもそも「コミュニケーション能力」っていうのは本当に国語辞典の通りの意味で考えると
これ相当高いスキルですよね?

「言葉や身振り手振りで自分の気持ちを伝えて、同時に相手から受け取る」ってかなり難しくないですか?!

よくコミュニケーションは一方的に相手に言葉を伝えること。
特定のコミュニティ(会社とか)の中で馴染むことを言うようなイメージで思っているかと
思うんですが、そう考えればみんな『コミュニケーション』というものを大いにはき違えているんですよ!

正しい『コミュニケーション能力』は、

正しいコミュニケーション能力

  • 相手に自分の気持ちを素直に伝える
  • 相手に自分の言葉や指示を伝える
  • 相手に自分という人間がどういう人間であるか伝える
  • 相手が話している言葉を正確に受け取る
  • 相手の表情や動作からその時の相手の感情を受け取る
  • 相手の言葉から正確に指示を受け取り、実行する


この6つの能力のことであり、

決して、

日本人の言うコミュニケーション能力

  • ある特定の場の空気を読む
  • 相手のセリフの裏を読み取る
  • 場の空気と相手の気持ちを考えて自分の気持ちを押し込める
  • 相手と言葉の駆け引きをする

というようなことじゃない気がするんです。

本当にコミュニケーション能力が低い人の特徴

これは発達障害者のうがった見方かもしれませんが、

私は健常者の人の中にもかなりコミュニケーションが下手な人がいると感じます。

そしてそういうコミュニケーションが下手な人の特徴が、
「自分は相当コミュニケーション能力が高い」と思い込んでいる人です。

「コミュニケーション能力が高い」と思い込んでいる人は十中八九、
相手との会話をリードしようとします。

気安い言葉で色々と相手のことを探り、相手の言葉をそのままの意味では受け取らず、
勝手に解釈して、自分の話を織り交ぜてアドバイスしたりします。

その際に本当は「コミュニケーション能力が低い」ので相手の表情や言葉から
自分に対するネガティブな感情は受けとれません。

なので、そこで相手が怒ったり、また泣いたりし始めると
「なんで泣くのかわからない」「なに怒ってんの?」なんてごまかします。

あくまでコミュニケーション能力が低いのは相手だと高をくくっているので
自分の失礼な言動に気づかないのです。

よく「冗談が通じないなんて」「空気読めよ」なんていう言葉で追い打ちをかけ、
ごまかすこともあるけど、(私(俺)コミュニケーション能力が低いんです)って
言っているようなものなので、気にしてはイケマセン。

こういう人、今までに会ったことが一度はありますよね。
何かに似ていると思いませんか?

そう、会社や家庭でパワハラ・セクハラの言動をする人の典型的なパターンです。

本人は自分の自信の無さを隠すために相手を支配することで満足したいタイプなのです。

「空気を読む」なんて言って、自分のコミュニケーション能力が低いことを隠してしか生きられない人たちなんです。

本当にコミュニケーション能力が高い人の特徴

では逆に、本当にコミュニケーション能力が高い人というのはどういう人だと思いますか?

まあ、低い人の真逆の存在。つまり、一緒にいてすごーく居心地の良い人のことです。

まず本当にコミュニケーション能力が高い人は、相手の気持ちを常に尊重しています。
会話を大事にし、一方的に自分の話をするのではなく出来るだけ相手の思いを聞き取ります。
相手をよく見ているので、表情やしぐさから相手がどう思っているのかを考えられます。

共感して、相手の言葉を裏をかいたりせずにそのままの意味で解釈します。
これはつまり、相手との信頼関係を築いているという表明にもなるんですよ。

「あなたの言葉をそのまま受け取るよ」というのは「あなたを信じているよ」ということですから。

相手を尊重しているので相手が怒ったり、泣いたりすることを自然なことだと考え、
必要ならきちんと謝罪してくれ、改善してくれます。(たとえそれが部下相手であっても)

絶対に「空気読め」「冗談だと思え」なんて言いません。
自分の伝え方が悪くて誤解を招いて悪かった、と反省できるからです。

これは「コミュニケーションの重要性をしっかり理解している」人だから出来ることですね。

発達障害者とコミュニケーションを取ることは難しいのか?

よく発達障害者は「コミュニケーションが取りにくい人たち」と言われることが多いんです。

でも理由が、

「こっちの意図することをくみ取ってもらえないから」

「空気が読めないから」

「社交辞令が分からないから」

などなど。

ハッキリ言って「ちょっと…それは無理があるんちゃう?」というような理由が
とっても多いんですよ…。

確かに、発達障害者の人の中には極端にコミュニケーションが取りにくい人もいます。
アスペルガーや自閉症スペクトラム障害に多いですね。

例えば、

「また今度飲みにでもいきましょう」と言われた発達障害者が
「わかりました。いつ行きますか?」と聞く。

(…社交辞令かな?)と普通の社会人なら気付くでしょうが、発達障害者はそれをすぐに
理解するのは難しいですよね。

(え?いつ行くの?いつか決めてもらわないと困る…)となって、
「じゃ、いつ行きますか」となる。

で、相手は(そんなつもりで言ったんじゃないのに)「この人(コミュニケーションとれなくて)変!」となる。

これ、理不尽じゃないですか?
もし相手が一言でも「今すぐって意味ではないですが、またいつか飲みに行けたらいいですね」とはっきり言えば
発達障害者の相手は「(今すぐじゃないということはまた今度決めればいいということかな?)そうですね」と
なんとなく理解できます。

これが本当のコミュニケーションです。
相手に誤解を招くようなセリフは言わないというのもコミュニケーションの一つだと思います。

だから、

「普通そうなんだよ、普通のことなんだから理解しろよ!」

というのはおかしいです。
良いコミュニケーションが取れているとは思えません。

相手とのパワーバランスを考えることがコミュニケーションである

「発達障害者が自分の言ったことを普通に読み取らない」
というのはコミュニケーションにおいて相手とのパワーバランス自体が大いに崩れている状態なんです。

一言で言ってしまうと、相手より自分を尊重している状態だということ。

だってもし相手が発達障害者でなく職場の偉い人なら「普通わかれよ!」なんて言いませんし、思いません。

(自分の伝え方が悪かったのかな?誤解を招いた原因はなんだろう?)とコミュニケーションにかなり慎重になるはずです。

「発達障害者とはコミュニケーションが取れない人たち」だと思い込む人は
既に「自分よりコミュニケーション能力が劣る人たち」だという驕りがあるんです。

そして自ら「コミュニケーション能力の低い人」となり下がってしまうんです。

コミュニケーションにおいて、相手を尊重して自分の気持ちや指示を伝えるには
「パワーバランス」が大事だと私は思います。

一輪車に乗ってバランスを取っているようなもの

図にするとこんな感じ。一輪車に乗って手をつなぐくらいの危うさ!!

相手を押し込んでしまう(支配しようとする)と相手は倒れてしまう。
自分が引きすぎると相手はよけいに押し込まなければいけなくなる。

押されると倒れそうで苦しくなるので、お互いに相手の力加減をみながら立っていなければいけない。

まさにこれがコミュニケーションにおけるパワーバランスだと思うのです。
しんどいけど、コミュニケーションとは本来こんな感じなんです。

他人とコミュニケーションを取るのってこれくらい本当は難しいことなんです!

「ええ~…?もっとカンタンでしょう?」

と思っている人は、この一輪車に乗るのが超上手いか(慣れているか)
もしくは勝手にそう勘違いして相手を倒しまくっている人です。

【発達障害でも健常者でも同じ】相手とコミュニケーションを取ることを恐れない

 

発達障害者にとっても、健常者にとっても「ツーカー」の関係になるのは
相当ハードルが高いことなんです。

夫婦でも友達でも、所詮他人は他人。
自分がこうだ!と思っても相手の考えは全く違うってことはあります。

うっかり気の合う相手を怒らせてしまうことだってありますし、
傷つけてしまうこともあります。

こんな面倒な一輪車に乗らなきゃいけないなら、他人と手を繋ぐなんてリスクを負いたくないと
思うのは当然です。

誰だって一人で輪車漕いでるほうが楽です。
自由に好きなところに行けるしね。

でも、誰かと生きていきたいならそのリスクや面倒くささを担う必要があるんです。
夫婦でも親子でも仕事でも同じ。

「誰にも理解されない…」と落ち込む気持ちはわかります。
周りがパワーバランスを乱してくる人ばかりなら人間不信にもなりますよね。
毒親育ちや、発達障害者で二次障害に苦しんだ人なら誰でもそう思います。
よくわかりますよ、私も同じですし!

私はこんな偉そうに書いてますが、コミュニケーション能力が高いというわけでもないですよ!
でも、誰かとコミュニケーションを取りたいとは思っています。(でないとブログしてない)

社会で生きていくということは相手とコミュニケーションを取ること。
それは発達障害者であっても同じ。

逆に、健常者であっても同じ。

お互いのちょっとした違いを認め合いながら、コミュニケーションを取ることができたら。
相手が理解できるように「正しいコミュニケーション」の面倒くささを少しでもみんなが負担し合えたら…

誰かが誰かに阻害されることもなく生きていける。
特定のコミュニティにいる人間だけでなく、どんな人でも生きやすい本当の「社会」になれるはずなんです。

森雨でした。

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