【毒親育ちのいい子たちへ】私たちはもっと怒りを感じて生きていかなくてはならない。

愛着障害
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こんにちは、森雨です。
ご機嫌いかがでしょうか。

今回は怒りについてのお話です。

突然ですが、あなたは怒りを正しい方法で表現できているでしょうか?

これまで再三、毒親育ちの私たちはどうも「いい子」すぎてしまっているという話をしてきました。

いい子とはつまり、

  • 人の顔色を見て言動を変える
  • 断れない・嫌と言えない
  • 人にどう思われているかすごく気になる
  • 嫌なことを言われたりされたりしても怒れない。傷つくだけ
  • とにかくいつもニコニコしてる

とまあ、こういう感じです。
実際いると多くの人が「えっ、良い人じゃん!」と思うかもしれません。
「こういう人と友達になりたいよ~」とかね。

そりゃ、良い人です。

誰しも怒りっぽい人とはお近づきになりたくはないですよね。

でも、実際やっている側の「いい子」はこれは非常に疲れる。
何を言ってもやってもニコニコ!なんて不自然でしかないのです。

こういう不自然なことをずっと続けた結果、「人間関係しんどい」「もう人と付き合うのは嫌だ」となってコミュニケーションの世界からドロップアウトしてしまったり(引きこもり)する人も少なからずいるのではないでしょうか。

先日こんなことがありました。

私は近所のいつもはあまり行かない耳鼻科に子ども二人を連れて行きまして。(耳垢取るだけだったから)
診てもらったのが60代~70代くらいの初老の男性医師だったんですが、明らかに私に対してだけ横柄な態度だったんですよ。

ほかの子ども連れのお父さんにはちゃんと敬語使って丁寧に説明しているのに対し、私が子ども二人を連れてきたら「あ~、お母さんね!耳の中触ったでしょ!」とか(触ってないし)私がちょっと言い間違いすると「普通日本語ではそうは言わない。笑」と終始馬鹿にしたような言い方したんです。

内心(くそじじい!)と思いつつ、私は「あー、触ってないですけど(^^)」「はあ、そうですね(^^)」終わった後も「ありがとうございました~(^^)」とか終始何も言えずニヤニヤして返答しちゃってたんですよね…。

帰り道自転車をこぎながらすごーくイライラしました。

そのじじいじゃなく、自分に!

(なんであんなにニヤついてんだよ自分!もっと嫌な顔しろよ!アホか!!)と…。
何も言えないならせめて不機嫌な顔したり、睨んでやればよかったのに!と思ったんですよね。

こういうこと、実はよくあります。

【毒親育ちのいい子】誰にでもいい顔しちゃう人

今に始まった話じゃなくて、子どものころからずっと愛想がよい子だったんです。
きっと多くの「いい子」として育てられた方は思い当たるふしがあるんじゃないかと思うんですが、とにかく諍いを避けまくって生きているので(相手に嫌な思いをさせないように…)と必死になっちゃうんですよね。

特に外ではね!
つまり外面がいいってやつです。

自慢じゃないけど(自慢にならないか)私はたいていのことは許せる人間です。
何されても割と「オッケーオッケー、そっちにも事情があったんだろ?」と気のいいアメリカ人みたいに握手してハグして終了しちゃうような人間なんです。泣くほど気にしてたことも「気にしてないよ☆」そう言っちゃうクソいい人です。笑

「いい人」してしまうのは本当は良くないということ

「いい人」で何が悪いんでしょう。

「みんなに優しいといいことばかりなんじゃないの?」心当たりがない方はそう思うかもしれません。

実は私は、いい顔しすぎていいように扱われ、小中といじめに遭いました。
「あいつには何してもいい」「何言ってもいい」と思われてしまって変なあだなをつけられてもニヤニヤしてました。無視されたり、物を隠されたりしてようやく教師に訴えても「お前だって喜んでただろ」みたいに言われて「いじめは確認されませんでした」とかよく教育委員会の言うアレのような感じでした。

また、就職してもパワハラを受けてもいつも元気よく返していました。何を言われても(上司なんだからしょうがない)と思いましたし、(仕事はツラいもの!)と思い込むことで乗り切ろうとしました。

結果、パワハラはエスカレートし、最終的には精神的に病んで数か月で退職。

いい人になって得したのは周囲だけで、私は一度もいいことがありませんでした。

怒りを感じないのではなく、表現できていないだけ

私は喜怒哀楽の中で一番難しいのが「怒り」だと思います。

「いい人」とは真逆で、怒りばかり周囲にぶつけている人はどんなイメージですか?
クレーマーや怒鳴ってばかりのパワハラ上司、手を上げる教師、DV夫…色々いますよね。

そのどれも共通しているのが相手に対しての過度な、理不尽な怒り。
そんな人の言動を目にすると嫌な感じがしますし、実際迷惑極まりない存在ですよね。

しかし、この迷惑な人たちも「いい人」である私たちも同じ「怒り」の表現が下手な人なんです。

怒った姿を人に見せまいと必死に取り繕うのは怒りを感じてないのではなく、隠しているだけ。
心の隅に溜まった怒りはいずれどこかで爆発します。

その相手は家族かもしれないし、どこかの店員さんかもしれない。

つまり、「いい人」もキレる迷惑な人も同じ穴のムジナなんです…。

【正しい銃の打ち方】怒りを上手に表現して、もっと生きやすく


巷では「怒りを捨てると楽になる」とか「怒らない!」なんていうテーマで書かれた本も多いですし、禅の教えで怒りを捨てることで生きやすくなると勘違いする人も結構います。

たしかに、嫌なことがあったら(例えば肩がぶつかったとか、ちょっと対応が意に添わなかったとか)うすぐ怒って相手をどつき回すなんて人は問題です。そういう人は怒りをコントロールする方法を学ぶべきです。

しかし、私たちのように今までずーっと怒りを押し殺して「いい人」してきた人たちはこれからは怒りを表現する方法を学ぶべきなんですよね。

「ここで私が何も言わなければスムーズに事が運ぶから…」とか、

「怒って言うのは面倒だから」などの考えはもうやめたいと思います。

同時に、相手の怒りを必要以上に恐れるのも良くないんです。
理不尽な扱いを受けたときは「不愉快です」と口に出さないまでも、相手に不機嫌な表情を見せましょう。睨み付けてもいいんです。眉根を寄せて「はあ?」という顔を鏡の前で練習しときましょう。

相手を怒らせまいと無駄にニコニコしたり「すみません…」なんて言う必要はないんです。

そして、必要とあればしっかり文句を言えるようになりたいですね。
私は怒りのコントロールについて、よく「正しい銃の撃ち方」と言っています。

やたらめったら銃を撃つのは多くの人を傷つけますが、いざというときはしっかり構えて相手に撃てるようにしておきたいものです。

夫は私との会話の中でよく世間や社会に怒りを表明していることがあるんですが、その怒りが時々八つ当たりのように私に向くことがあります。
そのときに「あ、銃がこっち向いてるよ。こっちに撃たずに世間に撃ちな」と忠告して喧嘩を起こさないようにするんです。

怒りを出すことで、人間になれる

これまで私たち毒親育ちは、怒りを無視されてきました。

例えば親に叩かれても「叩かれるようなことをしたあんたが悪い」と理不尽な扱いをされたり、自分の意志を無視して重要なことを勝手に決められたりしてきました。

怒りを表現すると、それを上回る暴力でねじ伏せられてきたんです。
喜怒哀楽を禁止されることで、人として当然の権利が迫害されてきたんです。

だから、どんな感情であってもきちんと処理するべきなんです。
嫌なことをされたらしっかり怒る。これは自分を守るうえですごーく重要なことなのです。

私もこれからは上手に怒りを吐き出して、泣いて、笑って、もっと表情豊かに生きていきたいと思います。

とりあえずいつでもニコニコ、ニヤニヤするのをどうにかやめたいと思います…。
舐められたくない!というより、自分を大事にするために。

森雨でした。

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