【毒親育ちが考える】父親は波平を見習うべき?父性について考える。

私の子育て
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こんにちは、森雨です。

かねてより、

「毒母を追求するんだから、毒父もやらなきゃ」

と父(母に対しては夫)の責任問題についても考えて
きました。

しかし、現在出ている本の多くは毒母に対してのものが
多いし、「愛着」のテーマになるのはやはり母。

そして、実際このブログの読者も「毒になる母」の
パターンについて知りたいと思う人が圧倒的に
多いんですよね。

しかし、私が母になり、世間一般の母親というものに
押し付けられる『万能さ』を身をもって実感し、

「毒親」という言葉には圧倒的な「毒親(父)」の
割合が実は大きいんではないかと考えるようになりました。

今回はそこの部分を少しずつ掘り返して考えてみたいと
思います。

目次

子どもが健全に育つうえでの父親はどう機能するのか?

そもそも、子どもが育つうえで父親は必要なのでしょうか。

私の周囲には幼少期に両親の離婚で父と離れた友人(女)と、

幼少期に父が単身赴任でほとんど成長期や思春期には父が不在だった、

という知り合い(男)の2つの例があります。

それぞれちょっと自分なりに分析してみたいと思います。

父のことは一切知らされずに育った友人Aの場合

私の幼馴染の友人A(女)は、3歳の時に父親のDVによって
両親が離婚しました。

Aの母親は幼少期の写真のアルバムから父親の写っているものは
全て抜き、父の存在感を全く無視して育てていたそうです。

父親はかねてから不倫していた女と再婚、養育費は再婚相手との
結婚もあり滞り、そのことがますますAから父親を遠ざけました。

しかし、母親は父親がいないことでさみしい思いをさせないようにと
努力し、Aは「特にお父さんがいないから辛いと思ったことはない」と
言います。

Aが高校生のころ、初めて父親と電話で話す機会がありました。
そして「(腹違いの)弟や妹に会ってくれ」と言われたと言います。
私はそれを聞いて腹立たしくなり、「勝手なこと言うな!って私なら言うね」
と言いましたが、
Aはただただ「会う必要はないと思う」と言っただけで電話を切ったそうです。
その態度は怒っている、恨んでいるというものではなさそうでした。

「父親の存在がない」ということで、彼女はまるで本当に道行く他人が
話しかけてきたくらいの感じだったのには正直驚きました。

しかし、彼女は本当に「片親」でよかったのでしょうか。

Aは成績優秀。器量も性格も良く、教師からの信頼もとても厚かったです。
同性からも異性からも人気が高く、私と違っていつも周囲には多くの
友人たちで囲まれていました。

しかし、Aの母親は特にAのことを褒めたことはないそうです。
Aは弟がおり、その弟はやんちゃで活発な子だったために、
日ごろからよく弟の面倒を見ていました。

母親にとっては「勉強が出来る、将来有望な子」より、
「何でもしっかり出来るお姉ちゃん」のほうが自分の手足になって
助けてくれるのでありがたかったんだと思います。

彼女は驚くほど早くに結婚、出産。
今では2人の子どもに恵まれた幸せな専業主婦になりました。

もし父親がいれば、彼女の人生は全く違ったものになった
んじゃないか…と今でも勝手なことを私は考えてしまいます。

幼少期に父が単身赴任でだった知り合いB

子どもが物心つくかつかないかの時に父親と離れて暮らし、
時々帰ってきては外食に連れて行ってもらっていた、という
知り合いBがいます。

単身赴任、というものに対して私はいつも社会の理不尽さを
感じるんですが、それはきっと私の親が自営業でずっと家に
いたせいだと思います。

知り合いBは5人兄弟の末っ子でした。

他の兄弟とは年が10歳近く離れていて、
もうおもちゃのようにただただ可愛がられて育ったそうです。

Bの父親は、子どもが好きでしたが、父親としての
子どもの接し方はまだ模索中、という感じでした。

そのためしつけはすべて妻に任せ、自分は仕事に逃げるような形で
朝から晩まで働いていました。

幼いころからそばにいなかった、という負い目もあり、
Bの欲しいものは何でも買ってやり、叱ることは決して
しませんでした。

何か言いたいことがあるときはすべて妻の言葉として代弁させ、
それを陰で見つめているような人でした。

今ではBのそばに父親はいますが、Bは決して父親や母親に
心を許したりはしません。

父が何か話しかけても「ああ」と小さい声で答えるのみで、
すっとそばを去って、父親が家にいるときは避けるように
なりました。

父親が所有する高級車を黙って使い、ガソリン代は母親に請求します。

母親はBの機嫌を損ねないようにと、常に彼の周りに好きな食べ物を
提供してやり、サイフをチェックし、小遣いをやります。

彼はそれを嫌がることも、拒絶することもしません。

母親が求めるように服を脱ぎ散らかし、好きなものを好きなだけ食べます。

今でもBは父親や母親からの叱責や、自分への関心を求めている
ように私は思いますが、親はそれに気づきません。

彼の周りに漂う寂しさは、そのせいかもしれないと最近思います。

「父親」はどういう機能をしていればよかったのか

上記のパターンは全く状況の異なる例ですが、

どちらも父親がいないことによって子どもに影響を少なからず
与えているということが分かったと思います。

では、健全な子どもの育成の前で「父親」はどういう
役割を担うべきだったんでしょうか。

今回は、この本を参考にして考えていきたいと思います。

この本で、父の役割はこのように記されています。

父親の一つの重要な役割は、子どもに否を突き付け、ダメなものはダメと言い、
社会の厳しさや現実の厳しさを教え込むことにある。
最初に出会う他者として、何でも許されるという万能感に歯止めをかけ、
自分の限界を体感として身につけさせる。

つまり、父親は主に「しつけをする側」ということですね。

よく、子育てで言われるのは父親が厳しく接し、
母親がそのフォロー役に回るというのがあります。

例えば、『サザエさん』

サザエさんの波平のような「頑固親父」のいる家庭では
決して父親が不在となるようなことはありません。

サザエが「お父さんに言いつけてやる」「父さん、カツオを叱ってよ」

という光景にイラつくのは、父親の存在が希薄になってきている
せいかのかもしれないです。

波平が「カツオをここに呼べ」と言って、厳しく叱る。
泣くカツオを時には倉庫に閉じ込める。
夕飯を抜きにする。

空気を読んでしんとする家族に、

それを見て「そろそろ許してやるように言わんかい」とサザエたちに
言うという4コマがあります。

あんな感じで、常に叱る役・フォローする役がいるということは
もしかしたら一番効率的な子育ての方法だったのかもしれないと
思います。

父は確かに思春期の時期には子どもの敵のように映るでしょうが、
それでも父の存在はそれほど大きく、子どもが羽目を外さないように
見張るには十分な役割を担うわけです。
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『存在感を消す父親』で母親と子どもは苦しんでいる

仕事が忙しくて毎日子どもが寝てから帰宅する、という父親。

単身赴任や出稼ぎ労働で家を留守にする父親。

そういう父親の不在というのはいつの時代でもあります。

「父親がいないとダメ、なんてことになったら、
傷つく母親や子どももいる!配慮しろ!」

と思う人もいるかもしれません。

父親が不在でも愛着障害も起こさず、健全な成長をした
子どももいることにはいるでしょう。

しかし、それには『父親の存在感』というものが不可欠だった
のではないでしょうか。

たとえ父親が離れていても、「きっとお父さんならこう言うね」と
母子で話したり、「お父さんがどう思うかな」という風に存在感を示すことで
子どもに父について考えさせることだって出来るはずです。

父親が人格者ではなくても、必要なら『そういう役』をさせることはできます。

しかし、父親が存在感を消すと、母親は両方の役割を担わなければならないような
状況に追い込まれます。

「親になるってどういうこと?」という葛藤やもやもやを抱えて
子どもに接することが出来ず、いつの間にか子どもが成人…なんていう父親もいます。

「親ってどうやるの?子どもとどう接する?」ということが分からず、
子どもをやたら厳しく扱ってしまい、子どもから結果的に拒絶される父親もいます。

どちらの場合も、子どもは不幸です。
父性を求めているのに拒絶されているのと一緒ですから。

そして、父親が父親としての役割を担うことをしないがために、
母親は子どもに深入りしていきます。

子どもが男の子である場合は特に、です。

例えばBの場合、母親は長年育児に非協力的だった夫に対してぞんざいに
扱いました。

子どもの前で夫の悪口を言い、ただでさえ存在の薄い子どもの父親を
「役立たず」にしました。

一方で、息子を夫以上に大切に扱い、いつでも息子の思いのままに
母親は行動しました。

母親は頼れない夫に変わり、息子に父性を求めたのです。

確かに、母親にとっては自分ひとりで子どもを見てきた、家庭を守った
という想いで夫の恨みからそうしたのかもしれませんが、

そのことで子どもたちの「父親像」だけでなく、
理想とするべき「夫婦像」もゆらぐ結果となりました。

波平も「父」についてよくわからずに、頑固親父させられてる

ちょっとさっきの『サザエさん』の例にもどりたいんですが、

波平だって決して好きで頑固親父してるんじゃないと思うんですよ。

波平って一見すると、怒りっぽいし、結構ワガママだし、
女性蔑視するし、正直あまり近くに寄りたくないオッサンなんですが、

あの人が「怒鳴るとめっちゃ怖い」存在であるから、あの大家族が
そこそこまとまっているんじゃないかと思うんです。

カツオ叱るのってめっちゃ体力要りそうだし、
それをサザエと舟さんがやってもカツオも「うるせーな」くらいですよ。

そこでガツン、と怒鳴ってくれる役の人間が必要になるんです。

でも、もし波平が、
「仕事忙しいし、お前から言っといて」って逃げたら、
舟さんはさらに追い詰められますよ。

波平が「ワシなんかが子どもに色々言うの自信ない。
嫌われたくないしなー。仕事してるし、勘弁してよ」って
言い出したら、舟さんは夫に対しても不信感だし、
でもその中で夫との子どもを育てなきゃならないしで荒れます。

だから、実は波平は舟さんが作った神輿(みこし)の上にいるんです。

『お父さん』がよくわかんない波平を無理に神輿の上にのせて、
「はいっ、怒鳴って、怒って、カミナリ落として!」って指示してるんです。

波平はよくわかんないけど、どうやら偉いとこに上っちゃっているから、
とりあえずカツオを怒鳴り、叱りつける。

それで「さっすがお父さん!」という印象を家族全員に持たせているわけです。

みんな『父親』を求めている

私自身、虐待をされた父を恨む一方で、
「本当に悪かったのは母かも」となぜか実際に私を
殴っていた父ではなく、母を憎んでしまいます。

これはやはり父親のような強力な存在を
みんなどこかで求めているからだと思います。

特に女性はいくら父を嫌っていても、結婚した相手は理想の男性!と思っていても、
実際には父にそっくりな人間と結婚してしまったという例は多いです。

(実はうちがそう。夫の頑固さや発言が時々父とかぶる)

そして、なぜか母は憎めても、父は心から憎めないのです。

「父」は扱いにくい。

「父」は臭い。

「父」とは会話が弾まない。

「父」はうざい。

「父」は面白い。

「父」って結局よくわからないものなのに、
みんななぜか求めてしまうんですよね。

「父」についてはさらに掘り下げたいので、次に続きます。

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