こんにちは、森雨です。
最近5歳の女の子が虐待されて死亡した「目黒虐待死」事件ですが、あれを見ていて私も7歳の頃ノートに「おやに逆らってはいけない」と繰り返し書いていたのを思い出しました。
親に愛してほしくてわざと冬に外で寝て熱を出したこと。
虐待の事件が世の中を震撼させるたび、自分が受けた傷と子どもたちの苦しさが胸に沸き上がって苦しいです。
一度でも子どもを叩いたりしたことがあるなら気づくと思うんだけど、あれってほんと無意味な行為なんですよ。子どもを叩いたからって子どもが素直になるわけでも、良い子になるわけでもないの。痛みと恐怖でパニックになって泣くだけなの。体罰は躾ではなく、単純に暴力なの。
— 森 雨@ACメンタルブロガー (@moriame25525) 2018年6月7日
「おい、殴れ」「おい、蹴れ」という父の命令に素直に従い、思い切り殴らないと夫に怒られるから…という理由で内出血するまで母親に暴力を振るわれてきた私が言うから多分真実なんですが、、
私は父たちがそういう虐待的な「躾」をしてきたからマトモになったのではありません。常識のある大人になったのは親のおかげではありません。
結婚できたのも、仕事をしているのも親のおかげではありません。
以前も記事にしてお伝えしてきましたが、体罰(と称する暴力)は子どもに悪い影響にしかなりません。
暴力を受けて育った子どもは大事にされて育った他の子どもたちに暴力を振るいます。
自分より倍以上の力を持つ大人に痛めつけられる恐怖と痛みを思い出しながら暴力を振るいます。
私は父の短くて太い指が自分の身体に食い込む痛みを今でも覚えているし、
母の長い脚が私の腰にクリーンヒットする感覚も覚えています。
でもそれだけです。親が私に暴力によって何を言いたかったのかは全く記憶にないし、有難みも、それに生じる親への感謝もありません。あるのはただの心の傷です。
すべての子どもに必要なのは厳しい指導でも、理不尽なルールでも、見返り付きの投資でもないんです。
……ということで、今回は毒親について人気の新書『「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から ((新潮新書))』を読んだので感想と見解を書いてみたいと思います。
この本は結構人気のようで今毒親本の中でもかなり売れています。
『毒親の正体』ってかなりキテるタイトルですよね。笑
水島広子先生は前回の記事『【自己肯定感を養う】「自分のことが大嫌い」つい自分を責めすぎてしまう人へ。』の『それでいい』の本で出てきた方です。
『それでいい。』にはあまり触れられていなかった水島広子先生の毒親についての見解をまとめています。
正直、読みながら発達障害で親してる私からすると落ち込むことが多かった…。落ち込むことばっかりだった…。
毒親問題で必ずと言っていいほど出てくる「許すべきか・許さざるべきか?問題」にも言及されています。
読む人の中には怒りとか悲しみでいっぱいになる人もいるかと思いますし、「もしそうなら一旦この本は棚に戻してください」と著者自身が書いているので書いていることに関して自覚はあるんだと思います。
たしかに、この『毒親の正体』には毒親育ちの方への共感というよりどちらかというとドライな目線で親について分析しています。
しかし、簡潔な言葉で具体的に毒親とのかかわり方についても書かれているのでこの本は親のことをある程度ふっきれている方か、これから決意をもって親と付き合いたい思う人にはいいと思います。
目次
【毒親の正体】毒親は発達障害者?という疑惑
水島先生曰く、臨床的に診てきた「毒親」で最も数が多いのが発達障害の人だそう。
特に自閉症スペクトラム障害(ASD)は多く、
- 空気が読めない
- 自分が不安や恐怖を感じることについて断定的に述べる
- 他のこととのバランスを考えず、自分が考えたことを押し付ける
こういう特徴があるようで、「一生懸命育児をしてきた結果、『毒親』になってしまった」というものです。
(ASDの親は)子どもに何かを強いることがその子の心を傷つけるかもしれない、というような発想を持つことが出来ないと言えます。
「子どもをちゃんとしつけなければ」と思えば体罰をいといませんし(ただし、「体罰はよくない」という概念が強く刷り込まれていれば、体罰はしません)、変化球が来るととっさの自己正当化をしたり子どもを否定したりするなど、攻撃的になる親もいます。
つまり、深く物事を考え、応用して認識することが苦手なASDの親は子どもの気持ちを読み取ることが出来ず、子どもの気持ちを傷つけるけど悪意はない…というような人が多いとのこと。
見た感じでは自分を強く持ち、個性的なように見えて知能も問題ないですが、とにかく相手の「心」に関しては「さっぱりわからない」という感じになってしまうんです。
だからこそ、周囲の風潮や思い込みから紋切り型の発言を子どもに繰り返したり、こだわりの強さから相手に対し攻撃的になる面があります。
例えば、(毒親あるあるで)親に意見しても全く聞き入れてもらえないどころか激しく罵られるとき。
そのことについては本書でとてもわかりやすい表現がありました。
その間、頭脳はほとんど動いていないので、いくら説得しても、ますます怒らせてしまうことになります。
この現象を、私は、「電気柵に触れてしまって、しばらくショックで『ビヨーン』という状態が続くのに似た状況」と説明しています。
「ビヨーン」となっているときに何の説明を受けても、受け入れられるわけはありません。
また、電気柵に何度触れても、慣れるわけがありません。【出典:「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から ((新潮新書))】
「どうしてあのときあんなことしたの!?」
「お母さん!私はあのとき傷ついたよ!」
と言っても「知らない!覚えてない!」「お前が悪いんだ!」と言い返され、親は何も聞き入れませんよね。子ども側は(これだけ言ってもわかってもらえないなんて…)と絶望と悲しみと怒りでいっぱいになります。
親が発達障害(ASD)である場合、その「ビヨーン」の状態になってもう電線がショートして壊れている状態なので
当然論理的な話は聞き入れてもらえないんですね。なるほど。
また、親がADHDの場合はもっとわかりやすいです。
ADHDの人は、パッと思いついたことをそのまま行動に移すことが多いのも特徴です。行動力があるのです。
個人のレベルでは問題がないのですが、子どもとの約束や計画が関わる場合には、子どもからすれば「約束を破られた」「ハシゴを外された」体験になりますし、何より衝撃を受けます。
【出典:「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から ((新潮新書))】
常にいっぱいいっぱいで、集中出来ずイレギュラーなことにパニックになりがちなADHDの親はASDと違い、子どもの気持ちは理解してやろうと努力はしていますが何せ自分の周囲のことで手いっぱいなのでどうしても子どもを置いてきぼりにしがちになる、ということです。
【毒親の正体】愛着障害の親が毒親になる?という疑惑
また、親が愛着障害(不安型)であるという疑惑もあります。
ただ再三お伝えしているように、愛着障害と発達障害はとても見分けがつきにくいものだと思います。(本書でもそのことは書かれています)
親が愛着障害(不安型)の場合、子どもから愛情や自分が得られなかった満足感を得ようとしてしまうので結果的に子どもをコントロールし、依存してしまうんです。
女性の毒親育ちに多いような気がしていますが、例えば父親(母から見れば夫)や姑の愚痴を子どもに延々聞かせ、また自分も子どもの交友関係から毎日の出来事、生理周期までも把握したがる傾向にあります。
子どもは母親を無下には出来ないので素直に聞き、従い、共感し続けます。
結果的に子どもの自立を妨げ、子どもが大人になっても不安で立てなくしてしまうんです。
アダルト・チャイルド(AC)と呼ばれる人たちはここに属するのだと思います。
本来は親から愛されるべきなのに、親の「親」のような立場になって、気づいてみると「自分」というものがなかったり、
大変な生きづらさを抱えていたり、ということがあるからです。
【出典:「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から ((新潮新書))】
また愛着障害の親の場合、母親は男に依存して愛情を求めて子どもを放置することもあり結果的にネグレクトのような状態になってしまうこともあります。
愛着障害の中でも回避型と呼ばれるタイプだと、逆に子どもの甘えを許せず甘えをわがままだと捉えて厳しく躾けてしまいます。親が自分の子どもを愛せない、抱きしめてやるのに抵抗が…というのは回避型の可能性があります。
本書では親が発達障害か愛着障害かを見分ける方法が臨床の経験から綴られています。でも私は親がどっちかはよくわからないですね…どっちも可能性があるような気がします。
特にうちの母親の場合は発達障害(ADHD・ASD)があったのは間違いなさそうなんですが、母の母(祖母)は母と依存関係にあったので愛着障害であるのもほぼ確実です。
あと、発達障害・愛着障害以外にも親が過去に経験したトラウマが子育てに影響した場合。
そして鬱病などの精神疾患を抱えていた場合などがあるようです。
(心当たりのある毒親育ちの方はぜひご一読ください)
【毒親の正体】毒親と付き合う前提のアドバイス
『毒親の正体』の中で特に読んで欲しいのが『第3章 毒親の子のための5つのステップ』
- 「自分は悪くなかった」と認める
- 「怒り」「混乱」を受け入れる
- 親にも事情があったと認める
- 親にできることを整理する
- 現実的な付き合い方を考える
私は自分が絶縁しているのもあり、毒親育ちの読者の方には親としばらく距離をとることを提唱しているんですが、
あらゆる事情からどうしても親とともに生きなければいけない人もいます。
そんな人に私は(自分が経験していないのもあり)アドバイスが出来ないのでこういう精神科医の先生の立場からのアドバイスが載っているのは非常に参考になります。
例えば、親との距離を考える中で発達障害タイプの親は良い関係を築けていると思った次の瞬間に突然心にグサリとkくるセリフを吐かれたりすることがあり、愛着障害の親には「振り回されないこと」が大事であるということが記載されています。
相手に何を期待し、何を諦めるか。
親の特性を理解し、そのうえで自分と相手の距離を考える。
精神疾患などの問題を抱えた親を理解するための具体的な対応も臨床の立場から書かれているので貴重です。
「毒親」に医師から伝えられる言葉
うちのブログで毒親の立場からコメントをいただくこともあったことはあったんですが、やはり数は少ないです。毒親側の質問のほぼ大半は、
「娘に毒親と言われた」「縁を切られた」「謝ってもゆるしてくれない」
「どうすれば娘と元通りになれますか?」こういう疑問に対し、私はいつも「向こうの気が済むまで放っておいてあげてください」とお返事しています。
しかしやはり縁を切ったままなのは不安なようで、怒り出す人もいれば、言い訳し続ける人もいます。
『毒親の正体』には(親が進んで読むかどうかは別として)毒親へ向けての文章もあります。
親がどれほど一生懸命であっても、どれほどの苦労を抱えながら頑張っていても、子どもには子どもらしく育つ権利があります。
親も頑張っているのに、結果として子どもを振り回してしまうと「毒親」ゾーンに入ってしまう、というのは、残念なことではあっても事実です。
【出典:「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から ((新潮新書))】
子どもを主体に考える、子どもの話に耳を傾ける。
自分の非を認める……。
毒親が「そうだったのか…私は『毒親』だったんだ。子どもを傷つけていた」と気づくことが出来れば親子ともにいい関係を再構築するきっかけにはなるでしょう。
しかし、現実ではなかなか難しいかもしれませんし、病院へ親も行く必要が出てくるのでまた長い道のりになるかもしれません。
…が、生涯親の愛情や理解を求めて苦しみ続けるよりかは子どもにとっていいのかもしれません。
『毒親の正体』を読んで 感想
『毒親の正体』の発達障害についての箇所は読んでいて
「だからって、発達障害者の母親が子育てについて全然ダメってこともないよ!」って一言書いてほしいし、「発達障害=結婚・子育てしちゃあかん」というわけでもないと明記すべき…と細かい指摘をしたくなりました。それほどぐさぐさきましたから…。
でも、私の「毒親は愛着障害」という見解については一致していてその部分は詳しく書かれていたので自分の親を知りたいと思う人への参考書には十分なってくれると思います。
親を主観で見ず、過去を通して客観的に見ること、というのは本当に大事です。
前回紹介した『それでいい。』と合わせておすすめです。
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