こんにちは、森雨です。
突然ですが、お腹にいる二人目の子どもが最近男の子だということが分かりました。
そうです、二人目の男の子です。3才の息子の弟となるわけです。
「この辺に…玉が見えますね」
「ああ、やっぱり玉でしたか」
「そうですね。玉が見えるとわかりやすいですよね」
産婦人科医とて、さすがに「竿」とは言わないところに配慮を感じます。おちんちん、とも言いません。
あくまで『玉』なんですよ。(余談ですが、女の子だと『割れ目』とか恥じらう先生は『葉っぱ』とか言うらしいです。笑)
ともかく、第一子と同じものが付いているということで私がはじめに感じたのが(周りになんて言われるかなー)というものでした。
2人目に上と同性を生んだ経験のあるお母さんなら誰しも経験があると思うんですが、人によって言うことが違っているんですよね。まあはっきり言うと、ちょっと残念だったね!というような感じの反応をされるケースがあるんですよ。多くのデリカシーのある人はそんなことないんですが、一部の…ね…。
実際言ってみると、
一番多かったのが「男の子!?いいじゃん!いいのよ、いいのよ。上が男の子だとね…経済的だしね!」
二番目に多かったのが「男の子二人だと喧嘩するとパワフルだよ…家が壊れるね。笑」
そして少数派だった否定的なものが「また男!?大変だね…。三人目も作るんでしょ?!若いもんね!次は女の子頑張ってね!」
というものでした。
こっちも一応返し方に気を遣って(だって相手が気を遣っている風だし)「まあ、無事に産まれてくれたらどっちでも良いんですよ」とか言わないといけなくなるわけですがそれでも言っていて(もっとスマートな返し方ないんかよ!)と自らにツッコミを入れてます。
ちなみに120点の返事をしてくれたのが近所に住むおじさん。
「男の子!? 素晴らしい!僕にも兄貴がいるんですけどね。やっぱり一緒に遊んで楽しかった思い出が多いですよ!この歳になっても『ああ、兄貴がいてくれてよかったな』なんて思います。時々会って飲み交わすことができますしね。親が死んだ後も何かというと頼っていますよ!」というものでした。
それまで「いいじゃない!男の子で!」という声が多くて内心(いや、私は『男で残念です』なんて一言も言ってないし、思ってないんだけど…)とモヤモヤしていたのでなんか初めて「親のためでなく、子ども自身の幸せ」についてリンクしてたのが嬉しかったっす。
ありがとう近所のおじさん…癒されました。
目次
むしろ女の子を育てる方が私には恐怖だと思った
男の子の母親やってると、よく「一人は女の子欲しいでしょ!」と言われるんですが、これって、
「女の子が一人はいないと愚痴ったり買い物付き合ってもらったり気軽に頼ったりできないもんね!」ということなんですよね。
言っていることはよくわかるんですが、実際露骨にそういう「男の子だと将来寂しいわよ!」という人に出会うとなんか「毒親気質」を感じてしまうんですよね。職業柄…。
最近『母がしんどい』の著者田房永子さんが男の子についてのコラムを発表されてました。
そうそう。「母親の野放し感」もあるんだよね。私も最近記事に男性に対する女性の「異常な寛容さ」がこの性差を生む原因じゃないかと書いたところです。 https://t.co/YHDInjFuGv
— 森 雨@ACメンタルブロガー (@moriame25525) 2018年7月23日
田房さんは男の子が出来たことについて抵抗を感じられたそうですが、私は4年前息子がお腹にいることが判明した時は心から「ああ、男の子でよかった!」と私は思ったんですよ。
それは「女の子だと自己嫌悪になる」という想いからでした。
『イグアナの娘』のような感じだと想像したんです。
自分が嫌いなので、自分みたいな女が出てきて夫や周囲と接するのを見るのに耐える自信が無かったんだろうと思います。
でもこれ「女の子がいると将来頼れて便利よ(^^)」なんて言っちゃうくらいまずいことだと思います。
「女の子」というものに対する疎外感
それでも、同じく毒親育ちの田房さんは男の子に抵抗があって、私は女の子に抵抗がある…ということが不思議です。
私の場合大人になった今でも「女の子怖い」と思っちゃうんですよね。
友だちの娘さんで5歳の子がいるんですが、ここ最近すんごい女の子っぽいことを言うんですよ。
うちの夫は子ども好きなんでたまに家に来たらうちの息子と一緒に相手して遊んでいるんですが、
こないだ突然私にその子が「○○君(夫)は私と息子君とどっちが大事なの?」「やっぱり自分の子だから息子君のほうが可愛いの~?」とか言うんですよ。
男の子ってたとえ嫉妬してもそのことをあまり口に出さないので(うわー!女っぽい!)ってめちゃくちゃビックリしたんです。
慌てて友達に「娘、こんなこと言ってたよ!」と言うと大笑いしてたし、夫も女子っぽいねって笑ってたんですが私はこないだまで赤ん坊だった友人の娘(5)がそんなことを言うなんて、なんか女の霊でも憑りついたかと思うくらいビビったんですよ。マジで。
「女は生まれたときから女だよ」
なんてたまに聞きますが、私自身はそうじゃなかったと思います。
私は親の仕事の都合で生後すぐのころから保育園に預けられていて、とにかく周囲にちやほやされることが無かったんです。末っ子だし、みんな忙しいし、「子ども扱い」はされても「女の子扱い」はされたことがなかったです。自分の服はなく、おさがりのボーイッシュな服ばかりで(上が兄だから)たまーにフリルのワンピース着せられても私はなんかしっくりきませんでした。
女の子と遊んだりすると、喧嘩してすぐ泣いたりわめいたり怒ったりするのでその感情の起伏に耐えられず、自然と遊ぶのは男の子とばかり。口調も男の子まさりで「うっせえばか!」とか「~しろよな!」とかで、よく祖父母に「女の子らしくなさい!」と怒られていました。
しかし、それも小学校に入学するまで。
小学校に入学して2年くらい経つと、それが許されなくなりました。
女の子と男の子が性をやんわり意識するようになって、それぞれ特定の同性と遊ぶようになったんですね。
ハッと気づいたら、スカートまくりあげて川に入って遊んでいるのは私だけになりました。
クラスメイトの女子たちはみんなシール集めをしたり『りぼん』を買ったり、流行りの服をおそろいで買ってもらったりと熱心に『女の子活動』していました。
同時に、それまで一緒に遊んでいた男の子たちのスポーツやゲームもレベルが上がりついに「雨は女だから女と遊べよ」なんて言われて寂しい思いをしました。
自然に男女にグループ分けされていく中、私だけが残されたんです。
(早くどっちかに入らなきゃ…)そうしないといずれいじめられることは容易に分かったんです。だからめちゃくちゃ焦りました。
慌てて、私は女だという理由だけで(〇んちんがついてないという理由だけで)女の子グループに滑り込みました。
姉の部屋に合った漫画を勝手にクラスメイトの女の子たちに貸したり、姉の部屋に合ったかわいらしいシールを盗んでリーダー格の女の子にあげて友だちになってもらったりしました。
今考えると、小学2年生くらいで既に「女の子って辛い」と思っていたんですよね。
自然に出来るその場でのカーストは男子にはないものでした。
持ち物のデザインや発言や知っていること(大人の世界のこと)、服装、妹や姉の有無。そんなもので細かく分けられていきます。
そこで「いやいや、私はそんなもんに興味ないし」で突っぱねられたら良かったんでしょうが、私はそこまで強くなれなかったんですよ。だから迎合するしかなかった。(親にしているように)相手の気に入られるような発言をし、女子の仲間になるための行動をしました。
今思うと、そういう思い出が私の中の女の子のイメージを作っていったんですね。
(ああ、女の子って面倒くさい)というのはずっと感じていたことで、大人になってこうして一人で好きな書き物の仕事するようになって初めて「女の子って面倒くさいよ!だってさ…」と言えるようになったのに、娘が出来たらまたあの世界に突入していかなければならない気がしたんでしょうね。
娘にブラジャーを買ってやらない毒母の話を聞くと、私は逆に「え!○○ちゃんもうブラジャーしてんの!?」と大慌てで一緒にブラジャー買いに行って娘がグループをはみ出さないように観察してしまう気がします。
つまり、自分の娘のことであろうと自分の問題として処理してしまいそうなんですよね…。それが怖いんです。
早い話、女の子を仲間だと思えないんです、未だに。(だからと言って男に対して仲間と思うか、というと話は別だけど)
「息子は小さな恋人」とか言っちゃう母親たちの心理
「息子って小さな恋人みたいなんだよ」とか言うの。私も実際聞いたことあるし、息子を産む前「男の子は可愛いんだよね~女の子と違って」なんて言われたことがあります。
私は理解はしたくないけど、気持ちは分かる気がします。
「息子は恋人!」と言う人は少ないですが、「うちの息子はイケメンだわ~」と思っている母親は多いです。
○○君(息子さん)ってモテるよね!なんて言われると嬉しい!という母親も多いです。
以前内田春菊さんの『私たちは繁殖している』の中で、「息子に対して恋人のように甘えて話す母親に対する嫌悪感があった」という話が出てきますが、実際息子が生まれてみると自然と息子に甘えるような口調になったわ…というエピソードがありました。(手元に資料がないので画像が載せられませんが)
容姿なんて褒められるとほんと嬉しいです。「ちびっこ男子はみんなキムタクや」というのは東村アキ子の『ママはてんぱりスト』のセリフです。夫に「可愛いね」と言われることの少なくなった今!息子が「ちょっと…お母さん今日可愛くない?!」なんて言われると「そ、そう…?」とまんざらでもない気持ちになるのは私だけではないはずです。笑
子どもも三歳くらいになると物事が分かってきて、こちらの言うことが理解できてきて多少めちゃくちゃでも割と普通に話せるという環境が母には嬉しいんですよ。それまで「言ってもどうせわからない」という赤ん坊扱いだったのが「言ったら6割くらいは理解してくれる」ってすごいですよ。
「息子は恋人」っていうのは言い過ぎですが、この気持ちが分かる人は(口に出さないだけで)多いと思います。でも当然「冗談としての」言い方ですよ。
怖いのは本気で「息子を恋人」にしてしまう母親です。
そういう、母親という役割以上のことを息子にしてしまいそうになる母親はこちらが想像できないくらいの底知れぬ孤独感を抱えているんだと思います。
夫が帰りが遅い。夫婦間が冷めきっている。家にいても話す人がいない。誰かと話したい、認められたい、はけ口が欲しいという欲求がそのまま子どもに出ている気がします。
母親って潜在的に娘が自分の話を聞いてくれるのは当然だと思っています。
だからこそ、息子が共感したりしてくれたり論理的な(男っぽい)ツッコミを入れてくれるとまた別の喜びがあるんでしょうね。
確かに息子を恋人と言っちゃう母親は気持ち悪い。気持ち悪いんですが、母親特有の孤独感が分かるゆえにそういう発想に自然になっちゃうのもわかる気がします。本来夫が担う部分(妻を女性扱いして大事にする)ということが出来ていないのが原因です。
女性として(というより人間として)満たされてない。そんな気がします。
そして、私はそういう女性たちと対面すると「ええ~キモイよ、変だよ!」とは言うと思いますが、「毒親だな」とは思わないと思う。だってその場でその母親たちにとやかく言ったところで彼女たちは癒されませんよね。
「なんで?私たちの何が悪いの?どうしてこんなに一生懸命子どもや夫に対してやってるのに『息子可愛い』が許されないの?」
って思うと思います。困ったことです。
母親たちの孤独を癒してくれるのは、誰?
実は私の周囲にもたくさんいるんですよ、息子を溺愛する母親たち。
そういう母親たちの共通点は、
割と年輩であること
比較的裕福なこと
夫が多忙であるということ
であるということが挙げられますが若い母親たちも当然いると思います。
でも一番の共通点が夫がモラハラ気味だということ。
とにかく、夫が優しくない。夫が妻を何でも身の回りのことをやってくれる母親代わりに扱っているんです。
お金を家には入れるけど、とにかく夫が忙しくて育児に参加できない。
忙しいから当然夫婦の時間も取れない。
夫婦の時間が取れないのでコミュニケーションの時間もない。
コミュニケーションの時間もないのでセックスレス。
女性としての(人間として)役割を奪われた分、子どもに人生を捧げます。
夫の反応が望めないぶん、子ども(特に息子)が喜んでくれるのがとにかくうれしい。
甘やかすのが最高の幸せ。わがままな息子が最高に可愛い。
それだけ聞いたら「別に仕方ないんじゃない?」「いいんじゃない?」とも思うんです。
思うんですが、子どもには影響が出来ますよ。
例えば息子は自分ですべきことでも母親に頼るようになるし、身の回りのことは母親がして当然となります。
つまり、いつまでも母親を求める夫と同じような人間が出来上がります。
そういう人って本当に多いので私も危機感を覚えて「あまり手をかけすぎると将来奥さんにも母親がしてくれたことと同じことを求めるようになるよ。そうなると困るのは息子の奥さんだよ」とちらっと言ってますが、まず聞きません。
「結婚したら自然と家事するようになるから、大丈夫よ」と言いつつ「結婚したら家事させられて可哀想だわ」とも言います。
以前にも記事にしましたが、子どもを必要以上に甘やかすというのは親のエゴです。
キツイ言い方ですが、やっぱりそういう甘やかし方はエゴです。
息子や娘が「お母さんはこういう理由で私たちを必要以上に甘やかすけど、ダメだよ」とか言えたりできればそれでいいんでしょうがまあよほど意識していない限り気づきません。
甘やかしと愛情表現は恐ろしいほど似通っているんですよ。
そして、実は愛情をかけるより甘やかすほうがずっとずーっと簡単なんです。笑
子育てしているとわかると思いますが、子どもが1人で完食するのをじっと待つよりスプーンで口に運んでやったほうが楽ですよ。靴だって急いでいると履かせたほうがさっさと済んで楽。
叱るのってめちゃくちゃ体力いりますよ。案外。放置したり親がやっちゃったりするほうが楽なんです。
夫婦で協力して育児出来れば叱ったり、嫌われ役を引き受けることも可能っちゃ可能ですが、母親一人で育児するとどうしても楽な方を取っちゃいます。
それを責めたり出来る人なんているんでしょうか。
息子二人の母親として、息子を「恋人」にしないために
息子二人授かった身としては、息子たちに少しでも自分のことは自分でできるようになってほしいと思っています。
以前記事にした小林カツ代さんのエッセイで息子(料理研究家のケンタロウ氏)に「女性と男性で家事に対する向き不向きはない。だから自分のことは自分で出来るようになりなさい」と言っていたそうです。私も同感です。
息子たちには料理でも掃除でも洗濯でもなんでも出来てほしいと思います。
女性だから(母親だから)家事はお母さんがやって当然、という風になってほしくないんです。
逆に言うと、子どもは子どもの役割を奪われるべきではないですよね。
母親の配偶者は夫以外にはいないし、間違っても母親の恋人は息子ではないです。
私の生きてきた理由は子どものためではありません。そういう人生を否定はしませんが、結婚したことも子どもを産んだことも私自身を作ってはいるけど「私自身」ではないんです。
人は人の支えにはなるし、人は一人では生きていけないけれど、人は人の生きる意味ではありません。
生きる意味は自分で見つけるんです。誰かがさっと差し出してくれるわけではないと思っています。
子どもが女だろうが、男だろうがそれは変わりません。作って、妊娠して生みだして育てるのは確かに私の(親の)仕事ではあるのですが決して子どもは自分の為に生まれてくるのではないんですよ。
自分で作った『母親』の枠にとらわれないように生きましょう。
森雨でした。
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