こんにちは、森雨です。
先日、東京医科大を受験した女子の得点を一律減点していたというニュースが世間を驚かせました。
関係者によると、こうした調整は長年続き、10年の一般入試の合格者の男女比で、女子が4割弱と前年を大幅に上回ったことで加速。「女性は大学卒業後に出産や子育てで、医師現場を離れるケースが多い。医師不足を解消するための暗黙の了解だった」(同大関係者)として、女子の合格者を全体の3割以下に抑える調整が行われてきたという。【出典:朝日新聞デジタルより引用】
「女性は大学卒業後に出産や子育てで、医師現場を離れるケースが多い。医師不足を解消するための暗黙の了解だった」
暗黙の了解なのはそちらの勝手なんでしょうが、この事実を知った過去の受験者は相当ショックを受けたと思います。
いや、受験者だけでなくまともな危機感のある人なら「ええっ…これ先進国のニュース…?」と思いますよ。
大学を受験する前、医師免許を取得する前から「女性は子育てでどうせ仕事辞めちゃうやん」というのを見越して「それなら初めから医師免許取らなくていいよね!」という発想はあまりにもあまりにも軽薄な物の考え方をしていると思いません?
ていうか、あんたらの言う「出産・子育て」は女性たちだけが背負うべき問題なの?
目次
【女性差別】妊娠・出産は女性だけの問題なのか?
私は女性や主婦や母親について考えることがライフワークなので常に「それって女性だけが背負うもの?」と疑問を持つことが多いんです。
ちょっとしたことから大きいことまで。
でもそういう話題を男性の前ですると必ず、「いや、それって一部の男の話だよ!」って反発を受けるんですよ。
例えば、最近ではネットで中絶体験談を読んでいたんですがそういうのってほぼ100%女性なんです。たまに「彼女を傷つけてしまいました」と自責の念に駆られている男性もいますがごくごく一部。
大抵中絶を体験した女性たちがどういう風に手術し、そのあとこうなって、今は過去を思い出しては辛い思いをしている…という内容です。妊娠した経緯に男が関わっていない場合はゼロじゃないですか。なのに、中絶において反省したり何かを学んでいるのは女性だけです。
「今後は自分を大事にします」
「取り返しのつかないことをしてしまって…反省しています」
男性たちにとっては「いやいや!俺はそんな男じゃないよ!」「ちゃんと避妊するし、妊娠させたらちゃんと責任取るし」というのがあると思うんですが、あまりにも妊娠という出来事は女性に負担がかかるものなんですよ。それを知らない男は多いと思います。
子どもをトイレかどこかで産んで、生きたまま捨ててしまった。
死んだ赤ちゃんを袋に入れてコインロッカーに入れた。
妊娠した女性と子どもを捨てた男に非はなく、子どもを産んで捨てた女にのみ罪があると思いますか?
私も中絶経験があるので、読んでて辛くなるんですが沖田×華さんの『透明なゆりかご(1) (KC KISS)』に中絶する女性のエピソードがあります。
私は中絶当時、していた仕事も交友関係もすべて失いました。彼は10歳上でしたが、中絶費用だけを封筒に入れて渡してきただけでした。
「費用出してもらえたんだね」「避妊しなかったあんたが悪い」「そんな男に引っかかるなんて馬鹿だね」「子どもを殺したなんて」「人殺し」
色々言われましたし、どの中絶した女性が経験するように子どもと母親を見るたび、妊婦を見るたびに死にたいような罪悪感に襲われました。
生活のためにパートを始めても、思い出して泣いて仕事にならなかったこともあります。
「身体を大事にしてね」というのは産科医に言われた言葉ですが、女性は自分の身体を自分で守らなくてはいけないんだと改めて感じました。
そして悲しみと、自分の落ち度だというやりきれない悔しさがありました。
「身体を大事にしなければ」というのは、逆に言うと「男は女を守ってはくれないよ」という意味なんですよね。
「男は女を守ってはくれないよ」「男は避妊しないかもよ」「妊娠して、後悔するのは女だよ」「護身術を覚えておくといいよ」
産婦人科で初診の時には中絶経験について書く欄があります。しかし、男性は何人堕ろさせても公表する場はありません。
その事実を一体どのくらい男性が知っているんでしょうか。
妊娠・出産を通して『社会的弱者』となる女性たち
妊娠した経験のある人なら分かると思うんですが、思った以上に女性は妊娠で『社会的弱者』となります。
「妊娠した」という喜びを誰かと分かち合う暇もなく、仕事を辞めさせられたり、仕事を減らされたりします。「妊娠は病気じゃない」とつわりや妊娠による不快な症状も理解を得られず苦しむ女性たち。
産んだら産んだで「ベビーカーは畳め」「子どもを泣かせるな」「母親なんだから我慢しろ」「子どもの躾と世話は母親の責任」「育児も家事もしっかりしろ」「母親だろどうにかしろ」「子どもを預けるのは甘え」
なんて言われながら誰にも頼れず孤独に育児に奮闘するんです。
仕事に戻りたくても、保育所が足りない。無事仕事に戻れたとしても保育園から毎週のように子どもの熱や病気で電話がかかってきて、まともに仕事に行けない。
結果、ストレスで子どもに虐待してしまうと「産みたくて産んだくせに」の嵐。
戦う女性を『社会的弱者』に陥れるのは、(一部の無理解な)男性だけではありません。(一部の無理解な)女性たちだけでもありません。
『自己責任』を押し付ける許容範囲の狭い社会の(それも猛烈に差別意識の強い)風潮なんです。
【誰も得しない、息苦しすぎる】いたるところにある差別、どうすればいい?
ちなみに、私は『妊婦・子連れ・発達障害・裕福でもない・ストレスに弱い』という何重もの社会的弱者だから余計に思うんですが、
今のこの日本の社会の中で一体誰が幸せになって、普通に働いて、結婚して子どもが持てるんだろうか甚だ疑問なんです。
今回記事にしたような根強すぎる女性差別についてだけではありません。
女性?出産子育てがあるからダメ。
発達障害者?他の奴より劣る気がするからダメ。
メンタル弱い?扱いにくいからダメ。
子連れ?子どもが泣くし邪魔だからダメ。
病気がち?残業出来なくて困るからダメ。
ブサイク?顔はいいほうがいいからダメ。
オタク?執着するのは気持ち悪いからダメ。
LGBT?生産性がないからダメ。
気になる人をはじいていって、いったい社会でまともに働けて幸せになる人ってどんな人なんですか?
またそういう人だけが働く社会っていい社会って言えるんですか?
結局人手不足になって、死に物狂いで働いていた人にしわ寄せがいって自殺したりしても「他にも代わりがいるからいいよ」って言うんですか?
いい加減、こういうのをどうにかしよう!この国のこういうところをどうにかしようぜ!というのに対しじゃあどうすればいいか?というと親として出来ることはやはり教育だと思うんですよ。
差別はそもそもその分野においての「知識のなさ」「関心のなさ」から起こります。「考えたり知ったりするのが面倒。よくわからなくて怖いから排除しておこう」という短絡的な考えから起こっているんです。
だからこそ、どんな年齢の人間にも等しく「知る機会」を与えることが必要なんです。
例えば、女性差別についてはもっと性教育に力を入れるべきなんです。避妊について、女性の体について、出産育児については男性も中心になって学ぶべきです。妊婦のお腹重さの背負って喜んでるようじゃとても学べませんよ。もっと中絶や女性の体の負担について学ばせるべきです。
家事や育児は夫婦でやるべきだということを家庭でも教育していく必要があると思います。そのためにも、夫は妻を労わるべきだし、会社は父親の就労時間を調整して家庭の為に充てさせる必要があります。
「いや、そんなの簡単にできないよ!」
という人は多いでしょう。そしてそういう人がいる限り、やはり差別の根は枯れずに残るんでしょう。
日本以外でそういった日本で当たり前にある差別を克服した国はたくさんありますよ。そういう国は日本よりもっと福祉が行き届くようにしています。国をあげて子育てしているんです。妊娠や出産を女性だけの問題にしていない分、差別に対する意識は日本より高いです。
少なくとも、LGBTの人たちを「生産性のない」と言ってのけるような人が国会にいる国は今のところほかにないですよ。
今この社会に生きる人はもっと怒ったほうがいいんです。
女性の方、もっと怒りましょう。
男性の方、「俺はそうじゃないぞ!」って怒りましょう。
障害のある方、「ふつうに働きたいんだ!」って訴えましょう。
この国らしく「喉元過ぎれば熱さを忘れる」状態になるまで待つのはいい加減やめませんか?
森雨でした。
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