毒親育ちが子どもを毒親育ちにさせないために考えたこと。

私の子育て
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子育ては難しい。
今も昔もそれは変わらない。
でも、子どもを愛情をもって育てる義務が
親にはあると思うんです。

こんにちは、森雨(@moriame25525)です。

この間息子(1歳10か月)と買い物に行っていたとき、
ちょうど自我が出始めたところで「あれ買って~これ買って~」と
駄々をこねはじめました。
そのとき私は「だめ!うちにはそんなお金ないよ!」
って言ったんですよね。いつものように。

でも帰り道によくよくその言葉を反芻したんです。

「本当にうちにはお金がないの?」
「『お金がない!』って言う必要あった?」

目次

自分の躾(言動)に自信なんかない

小さいころから「うちにはお金ないよ!」「金かかることばっかり言うな!」
「金が無いから無理!」「金が無いから死にたい!」

と耳にタコができるくらい聞かされてきました。
そしていつの間にか家族全員重度の『マネー・コンプレックス』になっていました。

私が悪気もなく「お金ないよ!」と息子に言っていたように、
うちの両親もまさか私たち兄弟が自分たちの何気ない言動でこんな風に
心に傷を抱えるとは思わなかったでしょう。

毒親育ち・愛着障害の私は躾のたびに

「これでいいのか?」
「息子が後で心に傷を負わないか?」

と考えます。
躾にあまりにも自信がないのです。

子育ては大変だ。それは今も昔も変わらない

親から「毒親」と呼ばれるようになった私たちの両親は
初めから子どもを一生生きづらくしてやろうとは思わなかったはずです。

「私は親として必死でやってた!お前も親になればわかる!」

「お前に謝れば親がやってきたことがすべて間違いだったことになる!」

でも、彼らに育てられた私たちは確かに心に傷を負い、
生涯苦しむことになるのです。

私は親になってみて、親になることの大変さがよくわかりました。
子ども一人持つだけで365日休みなく子育ては続きます。
可愛いと思うより大変と思う日のほうが多い日々も確かにあります。

「両親だって大変だったんだよ!わかってやれよ」
「育ててもらったんだから感謝しなさいよ」

いえ、でもそれとこれとは話が別なんです。
いくら子育てが大変だったからと言って私は親を許す必要は全然ないんです。

子育てにおいて親の責任は死ぬほど重い

「ちょっと親の責任が重すぎるんじゃない?」

そうなんです。
子どもを持つって死ぬほど責任が重い仕事なんです。
子どもがお腹に宿った日からもう親の仕事は辞退できないんです。

親の言動の一つ一つが1人の、もしくは2、3人の人間を作るんです。

そこに子どもの責任はない。
親のことを全身で信じ、愛している存在に責任は一切ありません。

どんな事情があれ、それは子どもには関係ない。
親に愛されたいのに愛されないということを「悲しむな」という権利は
誰にもありません。

子どもと対等な立場で同じものを見ること

子育てに一番必要な親としての心構えは
「いつでも子どもの立場に立って考えてやること」だと思っています。

「親だから」という責任をもって、「親だから」という傲慢な心を捨てる。

私が息子だったら、母親にどういう風に接してほしいかということを
考えて行動したいと思っています。

だから「そんなものを買うお金なんかない!」と言わずに、
「今日は買わないよ~また今度ね」で良かったんです。

ついイライラすると、力や言葉で子どもをねじ伏せようとしてしまう
こともあります。
「そんなときもありますよね~」と世間ではそのことをさも親あるあるで
片づけようとしてしまいますが、これは「そんなこともあるけどやっちゃダメな事」です。

少なくとも子どもは嫌ですよね。
だから親は日々反省しなきゃいけないんです。

親も、子どもも成長するのが「子育て」

そう考えると、子どもは親を育てるためにこの世に生まれて
来てくれたんじゃないのかなと思ってしまうんです。

決して「育ててやってる!」というスタンスでは務まらない仕事です。

いつかNHKのすくすく子育てに出演されていた大日向先生が
「子育てが思い通りにならなくてストレス」というママに対して、

「子育てじゃなくたって、生きていれば誰だって思い通りにならないことありますよね。
だから人は成長できるんじゃないですか?」

とおっしょっていてすごく納得しました。

まずは親である責任をもって、親であることを捨てること。

これが私が子どもを毒親育ちにしないために考えたことです。

森雨(@moriame25525)

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