私は何から解放されるのだろうーこだま著『夫のちんぽが入らない』を読んで

本レビュー
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こんにちは、森雨です。

ずっとセックスレスの話を書くつもりでいて、私もそのつもりで色々と書籍やなんかを読み漁っていたんですが

話題作『夫のちんぽが入らない』の本もその中の一冊でした。

私はてっきりこの本を「セックスレスの夫婦がどうにか頑張って夫婦円満を築く話」だと、きっとこの本をタイトルだけ知って読んだことのない多くの人と同じように勝手に解釈していたんです。

しかし、軽い気持ちで読み始めるとあっという間に引き込まれ、もう切なさや辛さや共感や悲しさが一気に胸を押し上げてきて、夜中に読み終えてからオイオイ泣いちゃったんですよ…。

もう物語であっても辛いのに、これが実話だってんだから

もう泣くしかないんです。

何ですかコレ。

ということで、
今回は急きょこの『ちんぽが入らない』という卑猥なのか冗談なのかわからない、
衝撃のタイトルの本を解説してみたいと思います。

「行き止まりになっている」二人

物語は主人公の「私」が北海道の田舎から東北の地方都市の大学に進学するところから始まります。

子どもの頃から人と関わるのが苦手で、目が合うだけでも赤面していた「私」が、一人暮らしするために引っ越したアパートで出会ったのがその後も登場する夫。

気さくで、いつも飄々としている夫と付き合うことになり、初めて彼とセックスをすることになって「ちんぽが入らない」ことに気づきます。

最初何をふざけているのだろうと不思議に思った。

でん、ででん、でん。

まるで陰部を拳でたたかれているような振動が続いた。なぜだか激しく叩かれている。
じんじんと痛い。このままでは腫れてしまう。今そのふざけは必要だろうか。
彼は道場破りのように、ひたすら門を強く叩いている。
やがて彼は動きを止めて言った。

「おかしいな、全く入って行かない」
「まったく? どういうことですか」
「行き止まりになってる」

【こだま著『夫のちんぽが入らない』より抜粋】

この「行き止まりになってる」というのが、今後彼らの関係を象徴していきます。

何度もトライし、血だらけになっても結ばれない二人。

他の人とは出来ても、「私」と夫の二人は「ちんぽが入らない」関係であるということ。
これは「私」のわずかな自尊心と肯定感を著しく蝕んでいくことになります。

夫が風俗通いをしていることを知った「私」にその感情が記されています。

不思議なことに、そのとき私の心を占めたのは、憎いとか汚らわしいといった感情ではなかった。
「ずるい」と思った。ただただ「ずるい」と思った。私を置いて、ひとりだけ「入る」世界へ行ってしまうなんてずるい。
そのことに嫉妬していた。

(中略)

そもそも、ちんぽの入らない私が悪いのだ。血まみれ、オイルまみれになって痛がり、気分をぶち壊してしまう私がいけない。風俗に行くことを許さなければならない。

「この人のことをよろしくお願いします。この人、私では駄目なんです」

本来なら、風俗嬢にそうお願いしなければいけない立場なのだ。

【こだま著『夫のちんぽが入らない』より抜粋】

「そんなわけない! もっと怒れ!」

この作品を読んだ人の中には主人公のネガティブ思考が不愉快で読めない、という人もいるそうです。

確かに、その感情は正しい。

しかし、毒親育ちで、自尊心や自己肯定感を欠いている彼女にとってはここで怒ることより「私が悪いんです」という方が自然で、素直な感情なんです。

好きになった人に好かれる、という彼女にとっては奇跡のような出逢いから夫と結婚できた。彼女も夫と離れたくはない。

自分に自信がないからこそ、「ちんぽが入らない」のに結婚してくれた夫と離れる選択肢なんてないんです。

いや、誤解のないように言っておくと夫も彼女と離れる気持ちなんてないからこその「風俗」という選択肢なんだと私は思います。

毒親育ちの「私」とその影響

彼女のどうしようもなく自分を大切にできない部分は毒親育ちが原因です。

母の感情は、いつも不安定だった。機嫌よく笑っていたかと思えば、ふとした拍子に理性を失い、あたりを憚らずに怒鳴り散らし、手を上げる。生真面目で、人の手を借りることを嫌がり、自分ひとりでやろうとするのだが思うようにはいかない。そうして苛立ちが募って爆発してしまうのだ。

(中略)

母を怒らせないようにする方法を探ってばかりいる子どもだった。
けれども、私の顔が母に似ているという問題からは永遠に逃げることが出来ない。
この身を恨むしかない。

私の存在が、苦しかった産後を思い出させてしまうのだろうか。

【こだま著『夫のちんぽが入らない』より抜粋】

容姿が醜い、と母親に責められてきた環境によって常に劣等感を抱くことになり、
また人の目線が極端に気になるようになった「私」。

そんな過去があったために、「私」にはもともと子どもが欲しいという気持ちはなかった。
でも、彼との明るい未来を想像すると「もしかすると子どもを持つのも案外いいものかも」と思えるようになるんです。

だからこそ、二人の「ちんぽが入らない」という問題の重みが拍車をかけます。

彼女は病院に行くこともなく医療機関で夫婦生活がままならないことを相談することもなく、
ただただ自分のせいだと信じ続けます。

周囲の「子どもはまだ?」という言葉をかけられるたびに、
(ちんぽが入らないんです)という呪いの言葉で自分を納得させながら。

長年子どもが出来ないことを気にしていた「私」の母は、
とうとう義実家に「うちの子はとんだ欠陥商品でして」と頭を下げに行きます。

普通なら爆発ドッカン!なセリフですが、「私」は人づきあいの苦手な母にそんな風に言わせて申し訳ないことをした、ちんぽが入らないことも含めて謝りたい、という心境にさせます。

「私」を弱い人、と思うか。否か。

私はこの「私」の極端な強さはどこから来るんだろう?と不思議に思いました。
人は彼女を「内向的で、消極的で、自分の意見も言えない弱い人」のように思うかも
しれませんが、私には彼女の中に育った普通じゃありえないくらいの「強さ」の存在を感じました。

毒親育ち特有の、(特殊な)我慢強さ。

我慢しなくてもいいことを我慢できる、強さ。

理不尽なことに耐えられてしまう、強さ。

どれも必要なことではありません。
むしろ我慢はよくありません、心に負担をかけます。
人はいつでも感情的になっていいんです。

怒るべきだし、泣くべきだし、自分の幸せを願うべきなんです。

彼女の「どうしようもないこと」(ちんぽが入らないこと)を解消させるどころか、自分の中で乗り越えようとするこの我慢強さは誰もが持てるものではないんです。

「できないこと」って世の中にはたくさんあります。

彼女のように子どもをどれだけ望んでも授かることが出来ない人もいます。

発達障害のせいで自分では必死で頑張っているのに努力を認められないこともあります。

本当は幸せな家庭で生まれ、育ちたかったのに虐待を受けて未だに心の傷が癒えない人もいます。

こういう「どうしようもないこと」は世の中に本当にあり得ないくらいたくさんあるんです。

この「どうしようもないこと」を乗り越えた人と、そうでない人は見た目には見えないけれどきっとどこか大きく違っているんだと私は思っています。

自分を解放できて初めて自由になれる

「ちんぽが入らない」問題に関してだけ言えば、確かに病院に行けばいい話なんだと思うんです。

私も読みながら「はよ病院行って診てもらおうよ…」と思いながら読んでいたんです。

多くの人もそう思っていたようで、ある産婦人科医の方のブログでは彼女は処女膜の病気だから治療さえすればセックスが出来るようになるのに…と書かれていました。

しかし、彼女は病院に行かなかった。
結局作品では病院に行かず、自分をセックスから解放することで解決させたんです。

私は性のにおいのしない暮らしに、ようやく自分の居場所を見つけたような気がした。
行為をしようとする空気を敏感に感じ取り、身構えることもない。
もう必要以上に自分を責めなくてもいい。

ここにいていい。安心して、ここにいていい。

初めからこうすればよかったのかもしれない。交われば、苦しくなるだけなのだから。

【こだま著『夫のちんぽが入らない』より抜粋】

セックスをしない、しなくていい、と決断したことで解放され、
このあと彼女は若くして閉経になることで今度は子どもを作る・作らないなどと悩まなくていいと思えることで初めて自由になります。

自分を縛っていた価値観から解放されることで初めて、自分の人生を肯定的に見ることが出来るんです。

「あのときもっとこうしていたら、自分はふがいないばっかりに…」と仕事の経験も含めて思い悩んで生きてきた彼女にとっては大きな成長でした。

いや、きっと彼女にとっては「成長」というには軽々しすぎる。
普通の人の何倍も満たされているはずなんだ、という気もします。

最後のページの言葉が、私には重く、また深く共感して心に残りました。
後日談である「あとがき」の言葉も含め、いつ読んでも深い感動を覚えます。

でも、ここでは載せません。
実際に彼女の人生をしっかりその目で読んでから、その流れで読んでください。