毒親と最後に会ったのはもう3年くらい前になります。
(父とは以前会ったけど、母とはもうずーっと会ってないヨ)
ちょうど私が妊娠していたときでした。
そんなときに会おうと思ったのは、
「子どもが産まれたらもう『娘』としては会えない」
と思ったから。
そのころ今以上に親のことを考えてクヨクヨ考えて病んでいたので(暇だったともいえる)出産前に自分の中でけじめをつけるためにも行っとこうと思ったのです。
こんにちは、森雨(@moriame25525)です。
今回は『毒親に手紙を書くことについて』というテーマでひとつ書きたいと思います。
出産前に親に会っておきたかった理由。
それは、私が書いた手紙の返事について聞きたかったからでした。
目次
数年前、私は毒親にクソ長い手紙を書いた
あのころ私は毒親についてまだ良く知りませんでした。
ちょうど、『毒になる親 一生苦しむ子ども』を読んで
「ちょっと待って……ジャストアミニッツ…これうちのことジャン!」
大変な衝撃を受けました。
毎日舐めるようにこの本を読み、そこでこの本の最終章に描かれている『対決』を実践してみることにしました。
「対決」の方法
「対決」は直接会って話すのが基本だが、それが出来ない事情があるなら手紙で書いてもよい。
電話で話せば安全なように思えるかもしれないが、実際には効果がなくまず失敗する。
電話というのは非常に人工的な道具なので、感情的なコミュニケーションには向いてないうえ、
一方的に切られてしまう可能性もある。もし親が離れたところに住んでいて直接会えないのなら手紙のほうが良い。引用元:毒になる親 一生苦しむ子ども p259第13章 独立への道
毒親に手紙を書いた
「手紙を書こう」と決意したのは、親との電話が恐怖だったから。
当時親とは絶縁しておらず、それどころか毎日親からの電話ラッシュでした。
口を開けば私に対する批判の言葉。その言葉に必死で対応する日々。私のことが嫌いなはずなのに、どうしてこんなに毎日電話してくるのか?と頭を抱えました。
そして気が付いたら親からの電話を着信拒否に。(ほとんど無意識にしたことなので、それから電話が来なくなって不思議に思ったほど)
電話が怖かったので、親と会うなんてもってのほかでした。
手紙はパソコン(ワード)で書きました。
親に今まで言えなかったこと。
子どものころされて本当に辛かったこと。
忘れられないこと。
電話が怖いこと。
両親への思い。
言葉を選びながら慎重に書いたはずなのに、気づけばビッシリ文字の詰まった紙が5枚。すべて簡素な茶封筒に入れて郵送しました。
期待した言葉と聞けなかった言葉
郵送した後は毎日緊張しながら過ごしました。
「『虐待』とはっきり書いちゃったけど親はどう思ってるだろう」
「やっぱり怒ってるかな。悲しんでるかも」
「『悪いことした、ごめんね』って言ってくれれば私はもういい…」
「でもやっぱり手紙書くべきじゃなかったかな」
しかし、いくら待っても手紙も連絡も一切ないまま1年経ちました。
それから、結婚・妊娠して味方になってくれていた叔母さんと両親に会うに至ったんです。
もしかしたら両親と会うのは最後かもしれないと思って大きいお腹を抱えて新幹線に乗って行きました。
【毒親への手紙】読んですらない?

毒親は私を気遣う風でもなくただただ以前のままの対応をしてきました。
母は私に兄の子(孫)の写真を見せて「可愛いでしょ!?ね!ほら見て!」と自慢してきました。
近々生まれてくる私の子については何も触れず、いいおばあちゃんの振りをしてきました。
(当時私は「子どもが将来『お母さんのおばあちゃんってどこにいるの?』って言って来たら絶縁したなんて言えないよな」と悩んでいた最中だったのでこれは地味にきつかったです)
まるで今までのことはすっかりなかったかのように対応される…
今考えるとそれは毒親の常とう手段なんですが。
私は「私が出した手紙……読んだ?」と思い切って聞いてみました。
母「は?」
私「手紙。お父さんは読んだ?まさか届かなかったんじゃ」
すると父は「ああ、来たよ」とため息をつきました。
父「何が書いてあるのかと思って目を通そうとしたら……頭痛がしてめまいもしてきたから読むのやめたわ」
「ワシは読めん。あんなもんは」
【毒親への手紙】結局対決(手紙)は自己満足に終わった
手紙を読んですらもらえなかったと知って私は脱力。
それまで感じたことがないくらい脱力しました。
たとえ読んでいたとしてももうどうでもいい。
とにかく親2人には全く響かなかったんだ。
それが答えなんだと思い知らされました。
その後私は親とほとんど話すことなく、出産後も電話一つすることはありませんでした。
でも数年たった今、私はたとえ親から期待したような返事がなくとも別に後悔はしていません。
後悔すると「期待していた自分」が可哀想になるから。
とにかく親に自分が『虐待された立場』であるということを表明出来たというだけで割と満足しようと思いました。
思った以上に自分は親に無視されるということに慣れていたし、逆に変な態度をとられて近寄られるくらいなら「読めない」と言って沈黙してくれているほうが有り難かったです。
いや、もうこうなると「ああ、毒親よの…」ってなもんです。いいんですよ、それで。(諦め)
あなたも毒親に手紙、書いてみたら?
『毒になる親』の一節にこんな文章があります。
では、こんなことなら対決などしないほうがよかったのだろうか?
そうではない。これで彼の「対決」は成功だったのである。
なぜなら彼は、相手が聞こうが聞くまいが生まれて初めてこの異常な親たちに自分の本当の気持ちを語り、それをしたことによって両親が
「毒のある行動パターン」から抜け出すことは永久にないであろうという事実を、ようやく心の底から受け入れることができたからである。『毒になる親一生苦しむ子ども』P272 独立への道
まさにこれです。
それまで寝られないほど苦しかったのは
「親が私のことを認めて、謝罪して、愛してくれる」という期待があったからなので、手紙を書くことで諦めることができて次に進むことができたんです。
「諦める」と書きましたが、これは毒親育ちなら親の愛情を諦めることがどれほど辛いことかわかると思います。
でも、親の為に自滅するわけにもいかないので(笑)
仕方ないですね……それも運命です。
毒親と『対決』したことないあなた。思い切ってやってみたらどうでしょう。
荒療治ですが、効くことは間違いないですぞ。笑
森雨でした。
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