こんにちは、森雨です。
今回は6年前に親と絶縁して、今春結婚式を挙げる予定のるいさん(30代女性)の毒親体験談です。
るいさんの母は夫への恨みがすごく自分の人生が悲劇的なものになったのは夫のせいだと言って
常に夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。
その夫婦の間に挟まれ、一人で必死に生きてきたるいさん。
6年前に毒親と絶縁するまでも、また絶縁してからも相当苦しい立場に
置かれていたそうです。
支配的な母親を持つ全ての人に聞いてほしい体験談です。
目次
両親の喧嘩や罵る声を聞いて育った
しまいには「あんたが力尽きるまで言い負かしてやる!」「私は辰年で強い性格だから喧嘩は必ず買う!絶対負けたくない!」と言ったりして。とにかくいつも父と喧嘩してましたね
聞いているほうも「どうしてそこまで!?」というくらい強い怒りを父にぶちまけるるいさんのお母さん。
るいさん曰く、お母さんから聞かされた恨みの原因はたくさんあり、それは結婚前のことから結婚後のことまで多岐にわたるそうです。
「食事中でも父に愚痴をこぼす母に対し、父は『うるせー!』と叫んでテーブルを拳でゴン!としてみそ汁ばしゃ!みたいな生活でした」
お父さんは何を言われても毎回「うるせー!」と言うか、無視するかの行動しかしなかったそうです。
夫婦喧嘩はどこの家庭でもあることではあると思うんですが、あまりにひどい喧嘩を繰り返し子どもの前で見せつけるというのは虐待以外の何物でもないと思います。
私も両親の喧嘩(というより父から母へのDV)は見るのも聞くのも本当に辛かったです。大人になった今なら「よそでやれ!」と言えないこともないですが、子どもは恐怖でそれどころじゃないですよね。
理想とプライドが高すぎる母
るいさんのお母さんは過去の栄光にすがりついて生きていました。
事あるごとに「昔東京で働いていたときはこんな生活をしていて楽しかったのに」と
「あんな楽しかった生活が奪われたのはあんたの父親とあんたのせい!」昔の自分を
思い出しては家族を攻撃していたそうです。
るいさんのお母さんの育った世代はちょうど高度経済成長期とバブルで、
どんどん生活も収入も良くなるような時代でした。
るいさんのお母さんもその恩恵をしっかり受け、青春を謳歌したんだと思います。
しかし同時に周囲が結婚していく中で持ち前のプライドが働き、あわてて結婚した相手が
るいさんのお父さんでした。
箱入り娘として育ったお母さんは当時「まあ気が合わなかったら離婚すればいいや」と
気軽に考えて結婚したまでは良かったですが…
お母さんを甘やかす祖父母(母の両親)は、近くにまで引っ越してやりたくもない家事をして可哀想な娘をサポートしていたそうです。
また、姑は「女は一歩下がって男を立てる!」といったような良妻賢母を押し付けてきて…
【父ってどんな人?】死産が父への恨みをエスカレートさせた
ここまで聞くと、そんな妻を持った父が気になります。
しかし、実はここまで母が父を恨むきっかけに出来事があります。
それはお母さんがるいさんの姉にあたる赤ちゃんを死産していたことです。
死産って相当母親にとってはショックだったと想像できるんですが、そんなときにフォローがないのは辛かったでしょう。
(私でも恨んでしまいそう…)
そもそも、お父さんとはどんな人だったんでしょう。
るいさんのお父さんのお仕事は役所勤めという堅いお仕事。
社交的な性格ではなく、寡黙な人でるいさんは休みの日も父の遊び相手をさせられていたらしいです。
お父さんは幼少期に父を亡くしており、女手一つで育てられたそうです。
母は長男に対する期待もあったでしょうが、めんどくさがって家を継がずにさっさと弟さんに渡したらしく、その辺のことも含めて人格に疑問が残ります。
妻とも険悪、友達もいない。そのうえ、誰かを愛する術も知らない。
見えない形でお父さんも苦しんでいたような気がします…が、荒れ狂う妻とその被害に遭う娘を放置した罪は重いです。
[ad#ad]どうしてみんな自由に生きられるの?
大学生になったるいさんは親以外の色んな人と接して初めて、
人の温かさにふれたと言います。
明るく、天真爛漫な同級生たちの姿を目の当たりにし、
「どうしてみんなそんな自由に生きられるの!?」
と感じ、またその子たちの優しい両親たちと触れ合ったときは、
「私みたいな人間にこんなに優しい…どうして!?」とカルチャーショックを受けたそう。
大学生活が楽しかったせいで母に対する罪悪感があったという、るいさん。
大人になってからもお母さんの機嫌をうかがって、自分の気持ちより家族の気持ちを重視するようになっていました。
周囲の同い年の楽しそうな女の子たちに対して感じる、劣等感と妬みに悩まされていたそうです。
占いに走る、というのはうちの母も同じでした。(まあうちの母は「ちゃんとした」占い師に数万払ってましたが。笑)
るいさんのお母さんは専業主婦で働いていない上に家事も嫌いで最低限しかしない、といった人だったので余計暇でそんなこと熱心にしちゃったんでしょうけど、いい迷惑ですよね…わかります。
物分かりよく周囲の機嫌に合わせているとなぜか標的にされやすいんですよね。
「あいつになら何言ってもいい」と都合よく扱われたりして…
【絶縁を決意】自分はアダルトチルドレンだと知った
るいさんは本屋でたまたま『毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)』を発見し「私はアダルトチルドレンだったんだ」と気づいたそうです。
「物理的に距離を置く」「対決する」という言葉の通り、何年もかけて貯めたバイト代で引っ越し先を決めて
「もうこの家では暮らせない、ずっと苦しかった」と、お母さんに本音をぶつけて就職と同時に家を飛び出したんだそうです。
1人暮らしをしていても母の度重なる鬼電はあり、愚痴や脅しは続いたけど、母と離れたり自分を見つめなおして自信がついたるいさんは
母の「死んでやる」という脅しもスルーできるようになったそうです。
そのあとようやくお母さんは落ち着き、るいさんも安心して一度彼氏を紹介したそうですがそこからはまたぶり返したように
「男作るなんて認めてない!」「年齢が気に入らない」と父も一緒になって暴言を浴びせられたそうです。
るいさんは母に電話口で「死ね!」と絶叫されていよいよ「もう一切の関わり合いを絶とう」と決意。
実家あてに絶縁の旨を書いた手紙と実家の鍵を送って今に至るそうです。
母の理想の娘にはなれなかったけど…
お母さんは自分自身も「理想」が手に入らなかったという想いから、るいさんにも「理想」を持つように強制したんだと思います。
るいさんの場合、失敗すると「お母さんの理想の女子たち」に笑われたり、けなされたりしないかとビクビクしてしまうということですが
その女子たちの目はすべてお母さんの目ですよね。
「お母さんはここにはいない」と頭ではわかっていてもやはりお母さんの呪いは続いているようです。
るいさんは今ではお母さんの愚痴や支配のない世界で優しい旦那さんと人生を歩んでおられるそうです。
義実家の人たちが必要以上に絶縁について突っ込まなかったことは旦那さんの理解とフォローがあったからだと思うと本当に良かったと思います。
るいさん、ありがとうございました!