こんにちは、森雨です。
突然ですが、あなたにとって「お母さん」は何ですか?
お世話をしてくれる人?
お父さんの妻?
自分を産んだ人?
誰よりも愛してほしい人?
私は未だによくわからないんです。絶縁してから余計によくわからなくなりました。
正直母親の顔さえももう浮かばないんです。
狂ったように怒って唾を飛ばしながら叫ぶ母の顔はなんとなく想像できますが、穏やかで、笑っていて、満足げに頭をなでてくれたことなんて本当にあったのかさえ怪しいんです。
今回は『母親』のお話です。「お母さん」の出てくるおすすめの小説も紹介します。
目次
お母さんは「お母さん」になれなかった
うちに『おかあさんがおかあさんになった日 (絵本・こどものひろば)』という絵本があります。
息子が生まれる前、どうしても「お母さんになる」という実感が欲しくて買いました。
絵本の内容はお母さんが出産するときの気持ちなんかが描かれていて、それはそれで良いんですが
私が知りたかったのはお母さんがお母さんになるべくしてなった経緯だったんですよ。
私は一児の母で、じきにもう一人産みますが未だにお母さんが何たるかがわからんのです。。
以前にもどこかで書いたんですが、私は母に将来の介護要員(3人目)として「いずれ実家にいて世話をしてくれる人間」として産んで育てられました。「上の二人がどっか行っても、この子だけは親の面倒を見てくれる」という感じだったようです。
子どもは親の言うことに従うもの。
その中で子どもの意志や感情は必要ないもの…つまりロボットでした。
ロボットなので、当然衣食住を保証する代わりに親を癒さなければいけなかったし、また役に立つために他の兄弟はしない家のお手伝いを必死でやりました。
でも、「ロボット」は私だけではなく、母もでした。
母も夫にどんなことを言われても、されても「すみません」といつも頭を下げていました。感情を受け入れてもらえず、父の怒鳴り声で動き、喋り、子どもを育てていました。
そんな異常な環境の中で当然のようにロボットになりました。
母はそんな強硬な父と、強い母(祖母)を持っていました。弱々しく、自分の意見など特にハッキリ言えたことのない母は、いつもこのどちらかに依存していました。
自分の意志を自ら放棄し、戦う術も持たずに身を投げたんです。意志を持たない母は、「人を愛する」という最も困難で自然な感情をも人に頼りました。
自分が子どもを好きか、というより、周囲が我が子たちをどう思っているか?という視点でみたんです。上の二人は優秀だったので母にとっては「大事にするべきもの」だと映り、そうでない私は「大事にするべきではないもの」というジャッジが下りました。
うちの母には、産みの母になっても育ての母になる自信がなかったんです。
お母さんとはいつも上下関係
私のような毒親育ちはお母さんが好きです。
「お母さんが大好き」なんです。
今でもお母さんに抱きしめてもらえる日を夢見てしまうんです。
このことを考えると、「なんて残酷なことなんだろう」と思うんですよ。だって毒親育ちが、お母さんから本当に無償の愛を得られることなんてありえないんですから。
お母さんは弱い人間で、自分本位で、子どもを自分の機嫌を取るための道具として使う人です。なのに、そんな人間に「大好きだ、愛してほしい」なんて言っているんです。
母子の関係は、永遠に片思いなんです。
お母さんはあなたを大切に思っているから、なんて言ってやることなすこと指図し続け、気に入らなければ罵倒し、
泣いて「私の気持ちを分かって」なんていう子ども見て鼻で笑っているんです。
お母さんとあなたの関係は完全な上下関係なんです。もちろん、お母さんが上です。生まれたときから、死ぬまでお母さんはあなたの上に立ち続けます。
その影響で、モラハラの被害者は、その後の人生で加害者か被害者どちらかの立場に立ちたがります。彼氏(彼女)の上に立つために、相手を試し続けます。
そんなわけで、境界性パーソナリティ障害や愛着障害の私たちの持つ「愛情」は少し人と変わっています。まともな愛情を受けた覚えがないので、愛情がなんたるかがわかりません。
「好きだから受け入れて欲しい」という思いの一方通行になりがちなんです。
【娘たちに読んで欲しい】私たちの母が出てくる小説
今回は「私たちの母親は何者だったのか?」を研究していただくために、数冊小説を紹介させてください。
どれも面白いし、興味深いです。
アガサ・クリスティー 『春にして君を離れ』
ミステリーの女王アガサクリスティーの異色の名作です。
上流階級の家庭の「いい母親」「いい妻」で忙しい毎日を送っていたジョーンがふとしたきっかけで一人になる時間を与えられます。
これまでの人生で夫や子どもたちが自分にした発言や行動の意図に気づき始めます。「もしかして自分はこれまでとんでもない思い違いをしていたのかも」と相手の気持ちを推し量らず、自分本位だったことに気づくのですが…?
ラストはアガサ・クリスティーの「そういう母親(女たち)」への冷酷なまでの冷たさが垣間見れます。
正直、怖いです…色んな意味で。
江國香織 『こまつま』ー【号泣する準備はできていた】より
芥川賞受賞の『号泣する準備はできていた』の中の短編小説『こまつま』
中年の主婦・美代子がいつものデパートで家族のためにあれこれ買い物をし、ランチで立ち寄った洋食屋で初めて少しお酒を飲む…というお話。
短いお話なんですが、この美代子から漂う雰囲気がなんとも「母」なのです。「母という生き物」がこの一説に凝縮されている気がするんです。
家族の為に生きてきた母が、家族に必要なものを買うためにせわしなく動く。自分のためでなく、子どもや夫に捧げてきた人生こそ女の人生であるという優越感。
こういう「自分以外の人間を優先させてきた」という他者優先の考え方こそ女の幸せであると納得してきた彼女には怖いものなどないんです。
フェミニストカウンセラーの加藤伊都子さんの『私は私。母は母。〜あなたを苦しめる母親から自由になる本』にこんな文章があります。
女性たちは、相手が自分に何を期待しているかを読み取り、それに合わせて自分を形作っているうちに、自分が何を考え、感じているのかがわからなくなる。
【出典:私は私。母は母。〜あなたを苦しめる母親から自由になる本より】
常に家族が求めるものに応え、働いてきた母にとって家族は命です。社会の求める女性像に素直に従ってきた女性が、また娘たちに求めるもの…わかりますよね?
江國香織さんのきめの細かい文章と物語から母たちの諦めとも狂気ともつかぬ思いが伝わってきます。
お母さんを嫌いになる方法
私はお母さんより今はお義母さんのほうが好きです。苦笑
たとえ今、お母さんが目の前でニコニコしてても嬉しい!というのではなく、「何考えてるんだろう…気持ち悪いな」くらいなもんです。
嫌いになる方法はわかりませんが、「好きでも嫌いでもなくなる方法」ならわかります。
お母さんと容易に話せないくらいの距離を取ることです。
お母さんは私の知らない鋼鉄の鎧を着ていて、いくらそこに何かぶつけても「カチン!」と音を立ててはじいてしまうんです。だから、話しても何の意味も無いんです。今までのことを無かったことにして会うわけにもいかないし、仕方ないですね。
お母さんが『春にして君を離れ』のジョーンみたいに自分を顧みる機会がたとえあっても、もう私には(多分)関係ないんです。
お母さんは「お母さん」になりきれなかった。だから私は「娘」になれなかった。
それだけの話といえば、そうなのかもしれません。
あなたはお母さんのことが「好き」ですか?
森雨でした。
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