【今自死を考えている人へ】今だからこそ伝えたい。あなたに死んでほしくない理由と私が考え着いた生きる意味。

今自死したい人へ 考えたこと
スポンサードリンク

こんにちは、森雨です。

今めちゃくちゃ慌ててこの記事書いてます。

理由は、やはり三浦春馬氏の自死。

私もツイートしました。
(このツイート間違ってて、番組名は『世界は欲しいものであふれている』でした。すみません)

聞いたときは、ショックで、、本当に信じられなくて夫と落ち込んでいて今でも結構ショックが大きいんです。

ですが…今、この件きっかけで「私も死にたい…」が強く出ている人に伝えたい。

私が誰かの自死を聞くたびに思うこと。

それでも生きて欲しい、と思っているということ。

目次

どんなにツラくても苦しくても、生きて欲しい

私は自分自身、ツラい思いを抱えて今まで生きてきて、今でもかなりきつくなると(死にたいな)という気持ちがニョキっと出てきます。そういうときは要注意なんで、即休みますが。

毒親育ちにとっては正直「死にたい」という気持ちは日常茶飯事だと思うんです。

だからこそ、言うんですが何としてでも私はあなたに生きて欲しい。

一応カウンセラーをしているので「死にたい」という人には否定はしません。

「死ぬなんて言わないで!」なんて言いませんし、「死ぬなんて…悲しいこと言うな~!」とも言いません。

でも、「何としてでも生き抜いてほしい」と心から思っているし、自分自身「生きねば」といつもふんばっています。

「うるせえよ!私の気持ちなんて誰にも分かるわけねー!」と思う気持ちもわかるんです。

でも、どんな形であっても、あなたに生きて欲しい。そう思うんです。

どんな人でも「生きる」意味があって生まれてきている

こういうこと言うと、胡散臭く感じる人もいると思うけどはっきり言っちゃいます。

どんな人でも「生きる」意味があって生まれてきているということ。

たとえ、どんな失敗と思われるような人生を送っていたとしても。
人から後ろ指を指されるような人生だったとしても。
どんなに辛い経験をしたとしても…ちゃんと意味があるはずなんです。

こんな経験はないですか?

経験したときに無駄だったなーと思うことが、後になって活きるということ。

人は苦しいことも楽しいこともすべて経験を経て、人としても『厚み』が増していきます。

お金持ちの家に育ち親も優しくて温かくて、贅沢三昧して成功者になった人からのアドバイスより、

ツラく苦しい家に育ち、散々苦労を経て成功者になった人からのアドバイスのほうが心に響くのはそのためです。

どんなことでも経験する意味があるし、どんなことでも学びがあります。
失敗は悪い結果ばかりを考えると失敗のままですが、そこから学ぶことが一つでもあるならそれは良い経験となり、できるようになるはずです。

そういう意味では、起きたことや現状をそのまま捉えるのではなく、あえて視点を変えるのも一つの人生を生き抜く術とも言えますね。

どうせいつかみんな死ぬし、みんなあなたのことを忘れる

どうせみんな死ぬんだから、死ぬまで生きよう

私の死生観を先に言っておくと、

死ぬことも生きることも大して変わらないと思っています。

私たちはいつでもないものねだりをしているんです。

結婚していないと「結婚したい」と思い、家を買った人を見ると「家が欲しい」と思うものです。
でも結婚している人は「独身の人がうらやましいな」と思うし、家を持ってから苦労があると「あのとき家なんて買わなければ」と思うこともあります。

欲は果てしない。

今の苦しみから脱したいと思うほど「死」の世界が魅力的に見えるんです。

祖父は癌で治療の甲斐なく亡くなったんですが、祖父が死んだとき本当に穏やかな顔をしていました。満足いくまで生き、天寿を全うしたんだろうと思えるような顔でした。
火葬の際に私は思ったんです。

(祖父も死ぬことを恐れただろうけど、今こうしてみんなに送ってもらえるんだから幸せだったんだろうな。そう考えると死ぬのも悪くないかも。どちらかというと、現世のほうが辛いよな~)と思えたんです。

死ぬときは、現世のことを一切合切捨ててあっちに行けるし、みんな私のことを忘れる…ということは怖いようで、考えようによっては気が楽じゃないですか?

たとえそれが病気だろうとしても、事故だろうとしても、死は生きているかぎりすぐそばにあります。

今あなたに嫌がらせをする人も、殺したいほど憎い人も、いずれ死にます。

死ねばみんなあなたのことを忘れるし、あなたもみんなのことを忘れます。

死ぬときになってから「ああ、生きている間ちゃんと楽しんでいれば」と思っても遅いんですよ。

自死の件も、そうです。
いざ死んだとき、幽霊になってから悲しむ人たちの顔を見て「あ、やっぱりやり直したい!」と思ってももう戻れません。二度と会って話すことはできないんです。一緒に打ち解けて美味しいものを食べることも出来ません。誰かを愛して、愛されて生きることももう出来ないんです。

だから、後悔してほしくないんです。

自ら死を選んで、後悔してほしくない。

だから、生き抜いてほしいんです。

どんな形であっても、生きるということ

自死する人はきっとすごく辛い思いや迷い、悩みがあったと思うんです。
そのことはよく理解できます。鬱病や精神疾患を抱えていた人もいるでしょう。

でも、自死する人の中には『完璧主義』な人も多いんじゃないかと思うんです。

完璧主義はネガティブ思考の大きな原因となります。

「ああ、私は発達障害だからダメだ…死んだほうがマシ」

「自分の浮気が原因で大事な人が離れてしまった…死にたい」

「仕事が辛すぎる。私はもう生きる自信がない」

という「○○がダメだから、ダメ!」という白黒つける発想。
これは完璧主義が原因です。

他のことがどんなにうまくいっていても、いくつか欠点があるだけで「もう死んだほうがマシ」と人生をリセットしようとしていませんか?

逃げてはいけません。
完璧を求めてはいけません。

人生も自分も、悪いところもいいところも全部受け入れて学びを経て人生に厚みを持たせていきましょう。

傷つくことを恐れないようにしましょう。傷ついても、いつか『日にち薬』で痛みは消えます。
そこから、学べることが必ずあるはずですよ。

環境を羨むのはいいけど、恨まないこと。

他人の環境を羨むこともあるでしょう。

他人の環境と自分の環境を比べて、死にたくなることもあるかもしれません。
「私はもうダメ…神様を恨む…」と生まれた環境を恨むこともあります。

でも、結局みんな置かれた場所で生きなくてはいけないんです。
恨む時間は「クソ!今まで辛い思いをしたぶん、絶対幸せになってやる!」という負けん気を持ち、幸せな未来を準備する時間に充てた方がいいです。

環境やこれまでの人生を恨んで恨んで、恨み尽くした人なら、恨むことの意味がわかりますよね?

怒りや悲しみは発散するものであって、依存するものではないんです。

覚えておいてくださいね。

自分を見つめるのことを恐れないように

ここまで読んで、どうでしょう。

己を知ることくらい、生きる上で大切なこともありません。
欠点も見えることもありますが、良いところを見つめ直すきっかけにもなりますよ。

最後なのでもう一度(しつこいようですが)繰り返します。

死なないでください。

どんな形でも生き抜いてください。

お願いします。

森雨でした。

 

スポンサードリンク