ども、森雨ですー。
今回は毎度おなじみ毒親話題なんですが、
本当によく人から聞かれる内容なのではっきりしとこうかなと思いまして。。
毒親持ちの人なら一度は考える
親との『絶縁』についてです。
目次
毒親と絶縁を決めた理由
私が「もうだめだ・・・絶縁しよう、それしかない」となったのは結婚式のことで母と電話した時です。
もうそれに至るまで、本当にしんどかったんです。
マジで死ぬかと思いました。
実際母が刃物を持って襲いかかってきたわけでもないのに、
これ以上交流を続けていたら殺される!
と思ったんです。
母と会話(しかも電話)するだけで、
- 動悸がする
- 冷や汗が出る
- パニックになりそうになる
- 涙が出る
- 不安でやばい
- ていうか怖い
上記のようなことがありました。
だから結婚の挨拶のときも目を合わさないように気を付けました。
気配だけでも怖かったので本当に出来るだけ近寄らないようにしていました。
だから、「もう会わない」と決めたのは「キライだから会いたくない!」というより、
「会って目を合わしたり、話すのが怖い!!!」
という恐怖心からなんです。
もしこれが親じゃなかったら、「またあの人に会いたい」と思うか?思わないだろ?
これは極端かもしれないんですが、私はそう思っています。
親が親でなかった場合。
例えば母や父や兄弟が同じバイト先だったとき。
私は速攻バイトを辞めるでしょう。
そして二度とあの人たちに会いたくない!と思うでしょう。
私の『絶縁』に対するスタンスはここにあります。
自分の親として、
家族として、
以上に、
人間として、もう付き合いたくない!
これが本音なんです。
たいして長くもない人生で「どうしても付き合いたくない人」と付き合う必要が本当にあるんでしょうか?
私は無いと思います。
それが親であれ、祖父母であれ、夫であれ、友人であれ。
自分のことを邪魔したり、傷つけたりする人間とは距離を常に置いておきたい。
ただそれだけです。
自分の気持ちに正直になること。それが大事。
会いたいか、会いたくないか。
→『嫌いだから、会いたくないッ』
なら会わなくてもいいんです。
親兄弟と交流するのは誰にも強制されることじゃありません。
だから、タイトルにも『絶縁』と書きましたが、それって大げさな話なんですよね。
昔の知り合いと会わないってだけで『絶縁』とは言いませんよね。
私もどうしても、どうしても、どうしても、親と会わなきゃいけない。
となれば、会います。最低限の会話(しかも敬語)ならします。
でも超嫌です。
胸の中で(あー嫌だな~。超嫌い。消えてほしい…)
と思いながらの会話はさぞ楽しいでしょうね。笑
考えただけで疲れてきた。笑
Q:親と絶縁して楽になった? A:ちょっとね。
親と絶縁して楽になることはありません。
毒親に育てられた時点でいろいろな生きづらさを背負っているから。
それに、毒親にされたことや言われたことはずっとついてまわるからです。
「もう親とは会わないぜッ!!俺の人生これからだ! ひゃっほう!」
となる人は10%くらいしかいないだろうと思います。(うらやましいなぁと思います)
「あのときこんな風に私のこと責めた!」
「あのときこう言って私を殴った!」
「私は悪くなかったのに!!」
という怒りの気持ちと
「私は誰にも愛されないかも」
「どうせ私なんて・・・」
「消えたい。消えたい」
上記のような気持ちは親と絶縁しても変わりません。
親と会わない、それだけでも楽になるっちゃなりますが、
それまで無理して積み重ねてきた感情は消せません。
むしろもう会わない、会えないことから
「この憎しみや悲しみは誰にぶつければいいの!??」
と思うようになります。
それで夫とか周囲の人に「もういい加減親のことは忘れなよ~」と言われたり。
決して絶縁したら解放される、という問題ではないんです。
それほど愛着障害の根は深いんです。
親と絶縁しようか迷っている人へ
とりあえずやってみればいいと思います。
絶縁は
「絶縁宣言」
「絶縁署名」
とかせずにできますから。
まず、電話やメール・LINEを一切切ること。
家を知られているなら、引っ越ししてもいいです。
必要なら仕事を変える必要があるかもしれません。
でも、一生親の為に自分を殺してしまう人生を送るより11100倍マシです。
違いますか?
罪悪感を感じる必要はありません。
もし罪悪感を感じるなら、その罪悪感は親に対してではなく自分に対してのものだと知ってください。
以上。
森雨でした。
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