毒親育ちの私が『子どもを叩く』という行為について深く考えてみる。

私の子育て
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こんにちは、森雨です。

私は毒親育ちの子持ち主婦なんですが、子どもを産んでから
自分の育った環境についてこのブログで深く考えるようになりました。

「どうしてああいう育て方をされたんだろう?」と気になり、
今は絶縁している母についてよく考えを巡らせています。

そこで時々、今考えるとあれはひどかったなーと思うことでも、
「もしかしたら実母たちの世代にはこれが普通だったのかも?」

ということもあります。

今回は前世代の子育てと今の子育ての違いを育児漫画から読み解き、
特に体罰について考えていくことにします。

目次

【そのまえに】育児漫画ってどういうの?

文字通り筆者の育児をそのままエッセイとして描いた漫画です。

今になってSNSでみんなどんどん育児漫画を描いて発信するようになり、電子書籍なんかでも売れ行きが好調のようですが、

実は育児漫画は私たちの親世代からありました。

【親世代の育児漫画】ママはぽよぽよザウルスがお好き

※あくまで!私の親世代なので、ご了承下さい。

今回紹介する昔の(20年、30年を昔って言うと一部の人から怒られそう)

人気だった育児漫画です。

・青沼貴子著『ママはぽよぽよザウルスがお好き』(1993年~)

アニメにもなりましたし、私もアニメは観ていた世代です。
これはもともとエッセイ漫画で、漫画では子どもの名前は本名でしたが
アニメ化に伴い、長男をヒョウガ、長女をジュラとしたそうです。

今読むと絶対炎上するであろう育児漫画

まず、『ぽよぽよザウルス』は怪獣のように大暴れする子どもたちを
前に結構強烈でした。

どこまでが創作かはわかりませんが、読んでみると
とにかく育児が大変そう。笑
子どもらしくのびのびとアクシデントを起こしてくれます。

筆者が自分の気持ちに正直なママでして、
カチン!とくると火山大爆発といった感じで感情をあらわにしていましたし
正直読んでいてさすがの私も「それはちょっと…」と思うコマもありました。

子どもをパシッ!とはたくシーンも普通にある。
今見ると新鮮です。

【一方】現代の育児漫画はどう描いているか?

感情的になるシーンを描いているのは昔も今も変わりません。

しかし、今はかなーーーりオブラートに包んじゃってます。
中身見えないくらい!

ナナイロペリカンさんはこんな感じ。
具体的にどういうときに「育児疲れ」を感じるか、
ということを描いているので、大変共感できます。。

子どもにイラ―っとした瞬間、手が出るまで多くの場合は、
(それまで子どもに手を上げたことが無い人は特に)
少しの間があります。

ここで手を上げないほうに切り替えられるか否かが運命の分かれ道なんだと思います。

子どもへの体罰は格段になくなってきている

ところで、手をパチン!と叩いたり、頭をゴツン!とゲンコツしたりというのは
どこにでも見られた光景でしたよね。

私も小さい頃は親にそれはもう殴られ、叩かれ、蹴られしていましたし(私の場合は極端だけど)
当時は保育園の先生や学校の先生もバシバシやっていましたよね?
少なくとも私の周囲ではそうでした。

私は『ママはぽよぽよザウルスがお好き』で筆者が子どもをバシバシ叩いて
戦っているのを読み、「これは無いだろ…」と思ったし、描きもしました。

でも、子どもを叩いてしまう気持ちはよーーーーくわかります。

単行本のママぽよの1巻『どうしてこんなに叱ってしまうのか?』という
反省を兼ねた章がありまして、筆者の青沼さんはこんなことを描いていました。

思い起こせばわたしはピーターパンに出てくるようなお母さんになって
天使のような子どもを慈しみ育てる予定だった…(中略)と思ったのも2歳までだった。一度怒鳴ることを覚えてしまうとすぐに怒鳴るクセがつく。子どもの方も怒鳴られ度数50に慣れてくると 怒鳴られ度数60じゃ
ないときかなくなってくる

さらに「ゲンコツ」「ビンタ」もとばさないとだんだんきかなくなってくる

こうやってどんどん叱り方はエスカレートするのだ

それでも2、3歳でまだ赤ん坊に毛の生えた程度なんだから
口で優しく言いながら力で抑え込もうとしていると不思議なもので人間はものすごい力を出していると頭の中も乱暴化してくる。そしてとうとう我慢できずに怒鳴ってしまうと、
もう子どもに当たらなくては気が済まない。

子育て経験が無い方にしてみれば、えー?(ドン引き)という内容でしょうが、
普通に、ごく普通に子どもを育てている親なら子どもといえど
(それも幼児)本気で腹の立つこともあります。

特に2歳前後はまだまだ言っても素直に聞かない時期で、
いくら親が必死こいて子どもに言い聞かせたところで子どもも
生まれたての自我と理性をコントロールできずに大暴れします。

そこでどう自分の気持ちを抑えて、子どもに言うことを聞かせるか?
ということが結局親の仕事となるわけですが、作戦が上手くいく場合もあれば、
「モーダメだ」という感じで屈脚する場合もあります。

子どもの意思を尊重して、、と初めは冷静に・落ち着いて対処しようと
するんですがね…。

…そういえばこの間、発言小町という掲示板で「2歳、3歳なら聞いたら言って聞かせりゃわかるでしょ!」
しまいにはゼロ歳児だって躾次第だという人がわんさか書き込んでいて驚きました。

言ってきかない子を最終的には力づくで抑え込む結果になるわけです。
程度にもよりますがこれは仕方ない。

これを仕方なくない!という人は子どもを育てたことがない人か、
子育てをすっかり忘れているだけです。

私は体罰自体は無くなっているんだと思います。
SNSで発信され、問題になると処理が大変なので基本的に学校関係者の人は
体罰をしなくなる傾向にあるし、
世代が変わり、今は体罰をしてヨシという風潮でないことは確かです。

庇うわけではありませんが、漫画からは私たちの実母や姑の時代にはまだ体罰をしていても
白い目で見る人は今よりは少なかったんじゃないかと思います。

ただ、同世代の育児漫画の中でも叩いたか叩いていなかったかは
人にもよるし、環境にもよるんでしょうけどね。

(ママぽよのママは仕事しながら子ども2人を保育園に入れることは
していなかったようです)

体罰は習慣化する、ということ

だからと言って、子どもを叩いたり、蹴ったり殴ったりして育てることを
ヨシとしているわけでは決してありません。

子どもは叩かれると必ず他の子に対して暴力的になります。
相手に言うことを聞かせるためには叩くんだ、ということを無意識に親から
学ぶためです。

いくら苛ついても子どもへ暴力を奮わない方法。
それは鳴れないことです。

重要なのはクセを付けないことです。
決して、体罰をすることに対して慣れないこと。

これが一番重要です。

私は以前にも書いたように子どもを叩いたことがあります。
生後半年の子どもにイラついて手を上げたこともあります。

叩いた後、自分に何か恐ろしいエネルギーが湧き、
理性が働く前にすでに手が出ていたことに驚きました。

そのとき
「これに屈服すると、虐待して殺しかねない」

と思い、その時の気持ちや状況を事細かく夫に説明しました。

夫に説明し、客観的に自分にどういうことが起こったのか
調べるためです。

叩く、という事態になる前に周囲にSOSを出すこと。

叩いたらどんな状況だったか、どういう心境だったかを事細かく考えて反省
しなければなりません。

子どもへの体罰は初めが肝心なんです。

既に子どもを習慣的に叩いている人はそこに自分の意志はありません。
トイレに行ったあと手を洗うように、完全にクセになっているんです。

自分の意志がないということは、当然罪悪感もありません。
エスカレートする一方になるわけです。

子どもを叩いたからって言うことを聞くようにはならない

根本的なことなんですが、子どもを叩いたからといって子どもが急に
「理解し」言うことを聞くなんてありえません。

親の言うことを「理解した」から素直に従うのではなく、
痛みの恐怖やショックから傷ついて静かになっているだけです。

悪いことをした子どもを叩いたり殴ったりすることで子どもには
何のメリットもありません。

大人への不信感が募るだけです。

「最近の親は子どもに体罰をしなくなった!けしからん!」
「体罰は子どものために必要だ」

という暴力推進派の人に聞きたいんですが、

例えば街中で迷惑行為を繰り返す(一部の)若者たちが
全員体罰を受けたことはないとお考えでしょうか。

私には彼らは理不尽なことで親や教師に叩かれ、殴られたために
他人に対して当たり前のように自分の気持ち(イラついた)を
過去の大人たちと同じようにぶつけているだけにしか見えません。

子どもに本当に常識的な大人になってほしいなら、丁寧に愛情を持って子育て
するしか方法はないのです。これは絶対です。

そもそも、どうして叩くようになったのか?

つい先日、学校の先生が生徒をビンタして賛否両論の
大論争になっていましたが、

私は暴力は(たとえそれがどんな状況であったとしても)
人としてしてはいけない行為だと思います。

例えば、小さな子どもが二人いて初めは仲良く遊んでいたのに
一方がおもちゃを取られたと怒って相手の子を叩いたとします。

そこを見て親は「叩いちゃダメ!お友達痛いよ!」って教えますよ。
「言いたいことは口で伝えるように」と子どもには教えます。
決して「叩いて言うことを聞かせろ!取り戻せ!」とは教えません。

手を出したほうが絶対にダメなんです。

暴力は「相手に言うことを聞かせよう」「従わせよう」と思って
する行為です。

相手が言うことを聞かないことに苛立ちを覚えて手を出しているんです。
それは大人でも子どもでも変わりません。

また、スポーツの世界でもYouTubeなんかで教師が生徒をバシバシ叩いてる
ところを他の生徒が撮ってアップして問題になりましたが、

ああいうパターンではもう完全にクセづいちゃってますよね。体罰が。

相手(それも子ども)を叩くことに疑問を感じたりしていない。
罪悪感を感じることや、自分を客観視する機能が完全に壊れちゃってるんですよ。

「スポーツの世界はこんなもんだ」

って言って、バカの一つ覚えみたいになって悪しき習慣を引き継いでいるんです。
自分だって体罰を受けるとものすごく傷ついたし、辛かったはずなのにね。

殴られたからってスポーツ、出来るようになるわけないのに、
それを必要だったというのは間違いだと思います。

育児がどんどん閉鎖的になっている

子どもを産んで育児をしてみて、育児環境というものがいかに重要かを
知りました。

それは家庭内だけでなく、社会全体についてです。

子どもを叩いてしまうことへの言い訳はたくさん思いつきます。

  • 何度言ってもいけないことをする
  • 何度言ってもいうことを聞かない
  • その時めちゃくちゃ疲れていた
  • 自分自身がそうして育てられたからやっていい
  • 全く別の件でイラついていた
  • 子どもが可愛いと思えない

『ママはぽよぽよザウルスがお好き』をSNSで現在のママたちが
描いてアップしたら非難を浴びるでしょう。
しかし、この漫画は「子育てあるある」で当時の多くの母親たちの共感を呼び、
今でも新装丁となり、読み継がれています。

そこにはいつの時代も育児は自分の思うようにはいかないということと、
育児は大変だから面白いというポジティブなメッセージが含まれているからだと思います。

著者の青沼さんは今子どもたちがどうなったか?というエッセイもマメに出されています。

「子どもを叩くなんてありえない」と多くの母親が思っています。
育児において、躾と称しても体罰はよくない、と多くの人が認識しています。

それでも子どもと対峙したとき、どうしても「叩いてしまった!」ということはある
はずなんです。

しかし、みんな決して自分が子どもを叩いてしまったことや酷い言葉を
浴びせてしまったことについては人に言いません。

20年~30年前と子どもは変わらないし、母親も変わらないのに、
育児環境はあの時からさらに閉鎖的になったと感じました。

自分の後悔や、失敗を人に言えず、ひそかに体罰が習慣化していくのです。

体罰を習慣化し「うちの子は叩かないとわからない」という風になったら、
なかなか体罰無しの育児には戻れないんです。

だから、子どもを叩くという行為自体を人に告白し、
自分を癒しながら、反省を生かした子育てが出来るように。

社会全体で体罰を無くすことが、子どもを守るには必要なんだと思います。

愛着障害を防ぐためにも。

森雨でした。

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