こんにちは、森雨です。
あなたはもう見ましたか、今話題になっているあの歌詞。
一人暮らししてたの おかあさんになるまえ
ヒールはいて ネイルして
立派に働けるって 強がってた
今は爪きるわ 子供と遊ぶため
走れる服着るの パートいくから
あたし おかあさんだから
あたし おかあさんだから
眠いまま朝5時に起きるの
あたし おかあさんだから
大好きなおかずあげるの
あたし おかあさんだから
新幹線の名前覚えるの
あたし おかあさんだから
あたしよりあなたの事ばかり
引用元:HUFFPOST あたしおかあさんだから』作詞の経緯とは 「ガマンしてる」お母さんに「偉かったね」
横山だいすけ歌 のぶみ作詞の『あたしおかあさんだから』は、だいすけお兄さん(NHKの元歌のお兄さん)からのぶみ氏(絵本作家)に依頼があって制作された歌。
作詞の時点でのぶみ氏が自身のブログにアップしてそれがSNSに拡散したところから火が付きました。
目次
『あたしおかあさんだから』は誰に向けた曲なのか
この歌詞を読んで初めに思ったのが、
「ああ、こういう歌詞で世の母親たちが感動して泣いて共感してくれると思っている人たちが未だにいるんだ」
というものでした。
この歌詞はぱっと見、「お母さん頑張れ!」というメッセージを含んでいるように見えます。
しかし、実際は
「母親ってものは子どものことを第一に考えるものだろ?」
「爪切れよ、子どもが怪我したらお前の責任だぞ?」
「おしゃれするなよ、どうせパート主婦だろ?」
「なんでも子どもに譲れよ、お前母親だろ?」
「子どもが好きなものの名前くらい覚えて当然だろ?」
「眠くても誰よりも早く起きろよ、妻だろ、母親だろ?」
なんて、めちゃくちゃなことを言っているようなものなのです。
また、この歌詞で一番目を疑ったのが、
「立派に働けるって強がってた」
というところ。
この「強がってた」にはどういう意味があるのでしょう。
「強がっていた」ということはつまり、
(どうせ結婚して子どもが生まれたらやめなきゃいけないし、第一女は男に比べたら立派に働けるわけない)
という意味を含んでいる気がします。
しかも、そのあとの歌詞でパートという文字が出てくるということは仕事も子どもを持つことで辞めさせられているということなんですよね……。
穿った見方でしょうか?
しかし、実際多くの女性たちを絶望させました。
みんなこの歌詞に裏にひそむ
「女が母親業をすることで都合の良い人たち」
の存在が見えたからです。
もしこの歌詞が、
「女が母親業をすることで都合の良い人たち」
に向けた歌だったとしたら、
「母親っつーもんはこんなもんだ!偉大だ!」
「実家の母を思い出して泣けました…」
なんていって、感動を読んだかもしれません。
しかし、この曲はほかでもない
現在、保活やら就活やら時短勤務やら不妊治療やらと戦う多くの母親ないしは女性たちに向けられた曲だったのです。
というわけで、いくらお母さんたちに大人気なだいすけお兄さんが歌ったとしてもマーケティングは完全に失敗しています。笑
『あたしおかあさんだけど』という悲鳴
ツイッターでも『#あたしおかあさんだけど』という反論のハッシュダグが出来て今でも燃え続けています。
『あたしおかあさんだけど』というツイートには
「私お母さんだけど、あんなことやこんなことするよ」
「お母さんだけどこんなこと考えたりするよ」
と、お母さんたちの「現実の私を見て!」という世間に対する悲痛な訴えが噴出していて(私も!私も!)という共感でコメントも埋めつくされています。
私も早速『あたしおかあさんだけど』を書いてみました。
子どもは基本お母さんが大好きだから、お母さんが我慢して(いいのよ…私お母さんだから)ってなってるの見るより、今日疲れたわーって夕飯ピザ取ってビールぷしゅーっしてバラエティ番組観て一緒に笑ったりして楽しそうなお母さんのほうが100万倍いいと思う。#あたしおかあさんだけど
— 森 雨@メンタルブロガー (@moriame25525) 2018年2月4日
実はこれ私が子どもの頃からお母さんがこうだったらいいなーという理想です。
うちの母は朝から晩まで自営の飲食で働いていたんですが、いつも我慢していました。子どもの頃から見ていてわかりました。
いつも忙しいうえに夫に支配されて好きなテレビも観れない、ごはんはちゃんと作らなきゃ夫に怒られる、グズなのを怒鳴られる。
というきりきり舞いな生活でも(いいのよ、お母さんだから)という無言のメッセージがすんごく重かった。
まさに呪いでした。
母にとってはのしかかり、あれこれと指示して、今絶縁するまでになっていても(私は一生懸命やったのに)という気持ちなんだろうと思います。
母はつまり、『母性神話のイメージ作戦』にまんまと引っかかったわけです。
↑以前も紹介した母性神話に関する書籍。NHK『すくすく子育て』に出演している大日向先生の本
子どもも母親も不幸にするのが「母親という肩書」
そう考えると、毒親育ちで苦しんだ身としてはこういった理不尽な女性への扱いは何としてでも払拭していく必要があるんです。
肩書のイメージをぶち壊すことで救われる母親たち
以前ブログにも散々書いてきました。
このブログの一番人気の記事では家出した体験談が掲載されていますが例えばこの記事では「母親は家のことを常にちゃんとやるべき」という世の中に疑問を感じたからです。
どんなに夫に不満があっても、ストレスを感じていても家族の為に食事を作り、仕事をし、子どものお迎えに行かなくては家が回らない。
どんなに調子が悪くても休めない。
家族がいる限りは働き続ける…それが母親。そこに一切の甘えは許されない。
「……無理だ」と独身時代から私は思っていまして、結婚して子どもが生まれてからは「やっぱり無理( ;∀;)」という感じです。笑
結婚して、子どもが欲しくて母親になったんだから、(子どもを授かって恵まれているし、それは自分で選んだ道なんだし!)
妻がやらなくてはいけないこと(家事)に母がやらなくてはいけないこと(育児)が追加されて当然デス!
というのが母親に対する目なんだ、というのが子どもを産んでからわかりました。
そして同時に、
「こんなむちゃくちゃな『理想の母親』のイメージは払拭していかなきゃ虐待は増える一方だよ」とはっきり思いました。
女性には、生まれながらに子育ての適性が備わっているという考え方は、子育てや女性の生き方が社会的・経済的な影響を受けて変化することを無視した、幻想の部分が大きいものです。(中略)母親たちが直面しているさみしさやいら立ちの源は、日本社会が長くもってきた母性観が歪んでいたところにあるのではないでしょうか。
子どもはお母さん一人が育てるものではない
私は自分1人で子育てするのは絶対にムリだと産む前からそう思っています。
私は毒親育ちで障害持ちでもあるし、精神的に不安定な人間です。とても一人で子育てするなんて無理です。
でもそれはきっと、どんなお母さんでも同じことなんです。
夫や親、市の支援センターの人たち、保育園の先生たち、近所の人たち、ママ友、親戚、病院の人。
子どもは色んな人の手を使って育てるものです。
どんな子ども好きで、パワフルで、頭のいい人でも一人で産んで育てるのは無理です。断言できます。
どうか、この世の母親たちが「女が母親業をすることで都合の良い人たち」に利用されることのないよう。
みんなで助け合って、楽しく幸せな子どもを育てていければなと思うんですが…
どうでしょうか。難しいことですかね?
森雨
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