こんにちは、森雨です。
昨日から落ち込んでる…
そして深く考えてる…
育児書開いてる……
保育園で「お着替えの練習を家でしてますか?」って聞かれた。どうやら息子は先生にお着替えしてもらえるもんだと思って待機してるらしい…。(うちの子だけが出来ない!迷惑かけてるかも!)って思うとすごい焦るし、落ち込むね…
— 森 雨@ACメンタルブロガー (@moriame25525) 2018年4月11日
実はね(説明いらない?)、昨日保育園で先生に
「Sくん(息子)、お家でお着換えさせてます?
保育園でなかなかやってくれないんですが…手をあげて脱がしてくれるの待ってる状態なんですよ。
他の子もいるので家で教えて一人でやれるようにしないと、、、」
と、暗に(お着換えできないのあんたの息子だけだよ)って言われたんです。
「す、すみません…ご迷惑おかけして」
と私は謝ったけど、なんか妙に落ち込みすぎてしまって辛かったんですよ。
目次
子どもの「出来ない」で落ち込む
うちの子はかなりマイペースなところがあって、
でも社交的で明るくていい子だと思っているんです。
親的には。
だからこういう傍から「あんたの子出来てないよ!」なんて言われたら
(あんたのしつけがなってないんじゃない?)
(甘やかして、ダメな親だな!)
って言われたような気分になって…しまって…。
帰り道でもずっと暗い表情でため息ついてたんですよ。
でも、よくよく(どうしてこんなにも落ち込むのか?)って考えたら
どう考えてもおかしいじゃない!ってなって。
だって、お着替え出来ないのは私じゃなくて息子なんですよ。
これっておかしい。
これはすごくすごく子育てにおいて危険な兆候だと思ったんです。
トイレトレーニングで自尊心を潰した経験
別に非難されても仕方のないことなんで正直に言うんですが、
以前トイレトレーニングのときにも似たような時期があったんですよ。
他の子が次々オムツがはずれて、焦って、もうそれはそれは夏の間スパルタで教えようと躍起になったあのころ。
ネットや本で「パンツに履き替えさせて不快感を覚えさせる」みたいなのを読んで、
よし!とパンツに勝手に移行。
しかし、マイペースな息子はパンツが濡れてようが、漏らそうが別に気にしてない。
怒られようが何しようがぽかん、としてる。
その様子を見て私はイライラが募っていきました。
そして、
「何でオシッコって言えないの!」
「他の子は出来るんだよ!」
なんて言ってたんです。頭の中で「最低だな…」と思いながら。
で、当然!息子はオムツが外れませんでした。
それどころか、トイレに近づくのさえ嫌になったようでした。
そんなある日、同じような月齢の子がトイレに行ってオシッコしているのを見たときに、
一言、
「どうせ僕はおしっこ出来ないよ」
とボソッと呟いたんです。。
そのとき、私は猛烈に反省しました。
息子の自立を促すどころか、自尊心を潰してしまったんだと気づいたんです。
私はもうトイレに関することは一切やめ、本人がトイレに行きたいと思うようになるまで
トイレトレーニングを中止することを決めました。
子どもの成長を待ってやることの大切さ
ふと振り返ると、子どもの成長を「待つ」ということが私には出来てなかったことに
気が付いたんです。
例えば子どもが靴を履くとき。
私の知っているお母さんたちはみんな「履いてごらん」って言って
じっくり5分から10分くらいは待ってやっています。
だけど、私は別に急いでないのに「早く」って言って、
すぐじれったくなって、ササっと履かせてしまいます。
(ちなみに夫も優しい言葉をかけてやりながら、褒めながら待ってやっています)
今息子がお着替え出来ないのも、靴をさっさと履けないのも、
私に原因が大いにあるんです。
(自分で子どもの成長の芽を摘んでおいて、「何で出来ないの!」は無いだろう…)
そう思いながら、焦ってまたお着替えを真剣にしない息子に
「自分で出来るでしょ!」
「ふざけないで真面目にやんなさい!」
みたいなこと言っていたんです。。
反省して、でもどうすればいいのかわからなくて、
夫に「叱り過ぎだ!」
「自分がそういう言い方されてきたからって子どもには言うなよ!」
って言われて泣いてたんですよ。
(人の気も知らないで!)って。
で、育児書を開いてみました。
親に相談するわけにもいかないので、やはりこういうときに信頼できるのが本です。
するとまさにドンピシャ!なことが書かれてました。
トイレっとを自立させるためには、便器に無理やりにでも長く座らせておく。すると子どもはしびれをきらして、泣きながらするかもしれません。
けれども、それは成功なんかではないのです。子どもから見れば、ほかの人からコントロールされているわけで、うっかりすると無力感のほうが大きくなって自律性なんて育たないのです。
自立心を促してしまうあまり(親が焦ってしまうあまり)、逆に自律性を妨げることになるというのです。。
子どもへのまなざし (福音館の単行本)では「いつから出来る子になるかな?楽しみに待っているからね」と待ってやることが一番重要だと記載されていました。
ますます落ち込みましたね…
よく考えたら、息子はまだ3歳になったばかり。
2歳から3歳、4歳くらいまでは出来ることと出来ないことが個人差が大きい、というのは私でも知っています。
保育園の先生は親切ですが、忙しさからどこか(出来たらみんな同じように出来て欲しい)という想いが
あるんでしょう。
そして、別に私や息子に言っていることも悪気があってのことじゃない。
私の受け取り方に問題があるんだ、と私は気づきました。
【3か月から通園していた】私の保育園の思い出
実は、私は0歳のころから地元の保育園に通園しており、親の都合でずいぶん長いこと預けられていたんです。
私の通っていた保育園はごくごく普通の保育園でしたが、保育士の感じはよくありませんでした。
給食が食べられなかったり、お昼寝が出来ないと外に放りだされたり、
先生の機嫌を損ねると叩かれた上に真冬に教室に入れてくれなかったりしました。
(そのせいで風邪を引いて熱をだしていた)
私は保育園が大嫌いでしたが、家にいることはできなかったので仕方なく行っていました。
当時は親が先生に文句を言う、なんてことなかったし(そこまで親も熱心じゃないし)
問題があっても子どもがチクらない限りそのままスルーされていたような感じでして、
とにもかくにも、ひどい環境だったんです。(あくまで私の通っていた園ではね)
だから私は保育園の先生に「お宅の子、こうですよ~」って言われると、
(まずい!息子が嫌われたらひどい目に遭わされる!)
と無意識に焦り、息子に厳しく教えて「コレが出来ないとあんたが困るのよ!」みたいな
感じで教えていました。。
夫に「そこまでしなくても…」
と言われても「いいや!あなたは幼稚園児(しかも私立)だからわかんないの!」みたいな。笑
親というより、先輩保育園児として…(何年目だ)
私の保育園のイメージがあまりよろしくないというのもあり、
確実に受け取り方が悪いっていうのも大きいと思います。
子どもの成長は親の成果ではない
話を戻しますが、
私は息子がお着替えがうまくできないのを自分のせいだと思ったわけです。
そしてそのことで悲しくなったし、落ち込んだんです。
これって例えば他のパターンで考えてみたら、
子どもが30点しか取れないのを「私のせいだ…私の躾が悪いんだ…」と責任を感じるのと
一緒なんですよね。
でも逆に言うと、子どもが成績よくて医大に行ったのを「私の息子スゴイ!つまり親である私スゴイ!」
となるのと一緒なんじゃないですか?
子どもの成長の成果は子どもの努力の結果であり、親の成果ではないでしょう。
だから逆を言えば、息子がお着替えできないことにそこまで責任を感じるのはおかしいんです。
…え?
さっきと言ってることが違う?
いやいや、私が言いたいのは、
息子は既に一個人であり、私の分身ではないので息子が何か出来ないことは私が出来ないことではない。
よって、息子が「出来ないこと」は息子の出来ないことであって、他人の私がそこまで気に病むのはおかしい。
ってことです。
だから私が先生に「お宅の子、お着替えできてませんよ!」って言われたときには
「え!そうなんですね。じゃあ子どもには家で頑張って特訓してもらいますね(^^)」
が正しいのであって、
「そ、そうなんですか! すみませんでした、ご迷惑をおかけして…」
となるのは間違いなんじゃないかなと思うんです。
多分そこんとこがモヤモヤしまくって落ち込んだんだと思います。
なんだかよくわかんない悪いものを食べたような気分でいて…。
理屈で考えずに、どこで考えるんだ?育児!
育児ってつくづく、
Don’t Think …Feel
ではない!と思うんですよ。
育児は愛情!愛情の通りにいっとけば間違いない!
ってごり押しして来て失敗してきた親世代の育児を見て思うんです。
感情のままに子どもを叱ったりしてたらいけないと思うんです。
どうしてこういう気持ちになったのか?
どうして子どもにこういうことを言ってしまうのか?
常に深く考え、時には調べたりして最善の方法を模索することは必要なことだと思うんですよ。
特にお手本(親)のいない環境の私は!
失敗が多いけど…お母さん反省するから…ね。
あー、強い母になりたい!
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