こんにちは、森雨です。
先日引っ越しをして、しばらく忙しくて更新できずにいました。
さらに子どもが引っ越しを理由に保育園を退園し、新しい地で保育園が決まらずじまいなので、
「(子どもの起きる前の)朝か(子どもが寝た後の)夜しか時間が無いッ」
という、予想通りのタイムスケジュールとなっております。
私がノートパソコンやスマホやタブレットを見ていると、
2歳の息子が「ないないっ」と無慈悲に取り上げてくれるので
私はネットから距離を置かざるを得なくなっています。笑
しかし、どうにか時間を見つけてサッとパソコンに向かって記事を書いて
発散していきたいと思っていますので、体験談の応募も含め今後ともよろしくお願いします。
…と、記事の冒頭を借りてご挨拶とさせていただきます。
さて、今回は発達障害の『原因』についてなんですが…。
私はADHD・自閉症スペクトラムの発達障害を抱えていますが、
診断されたころはあれこれと原因を考えました。
結論から言うと、私は親にも発達障害の原因は少なからずある、と思っています。
世間では「親のしつけは原因ではない!(だから安心してね)」っていう優しい意見が多いですが、
それでもやはり、愛着障害と発達障害には少なからず関係性があるんじゃないかと思っていた時に
この本を読み「あ、やっぱり」という気持ちになりました。
この本、賛否両論はありますが読んでみるとADHD・自閉症スペクトラムの私に当てはまることが
あまりにも多い…あまりにもっ…
目次
親が発達障害?遺伝は本当にあり得るのか
次に遺伝の問題についてですが、以前にも子どもについて書いた記事の中でも
あったように確かに発達障害は遺伝が原因である場合もあります。
しかし、先に言っておくと定型の人も、非定型も生んだ子どもが必ず発達障害者になる
とは誰にも言いきれないことは確かです。
発達障害の私の両親はどうかと言うと、
うちの父は理数系が苦手で、自営業の会計業務などはすべて母任せでした。
数字関係はまったくダメでしたが、英語や文章を書いたり読んだりするのは割と得意のようでした。
母は計算などは比較的得意でしたが、文系全般が苦手でした。
そして掃除も苦手で、かなりおっちょこちょい。忘れ物や遅刻もかなりありました。
二人ともに発達障害の要素があるかないかと言われれば「あります」。
しかし、特別困っていなかったのでどちらでもないグレーです。
【しつけや育て方】毒親育ちだと発達障害になる?
しつけや育て方はどうか?
実は私は常々発達障害になったのは毒親育ちだからではないか?と考えていました。
最近『境界性パーソナリティ障害』の本の著者でもある
岡田尊司先生の『発達障害と呼ばないで (幻冬舎新書)』を読み
「もしかして」が「やっぱり」になりました。
この本でははっきりと、発達障害は「遺伝的要因」より「環境的要因」のほうがはるかに大きいと書かれています。
発達障害(特に軽度の場合)は愛着障害と混同されやすいそうで、例えば悪い環境の中で育った子どもは大人になってからも生きづらさを抱えます。
不安定な家庭環境で育った子どもは脳の発達に著しく影響を与えるようなのです。
そのため、社会に出てから仕事や人間関係で一旦自信を無くすとみるみるうちにストレスに過敏になり、
業務をこなせなくなって、鬱病を発症。
そして病院に行くと仕事がうまくできない、周囲と溶け込めないということから発達障害が診断されます。
もちろん、環境要因だけでは発達障害は起こらず、当然遺伝要素も関係はありますが
養育環境が悪い場合(親が毒親である・虐待を受ける・ネグレクト等)発達障害の症状を
みるみる加速させていくことは確かのようです。
実際に発達障害と診断された子どもの中にも養育環境が原因で発達障害だと誤った診断を
受けていたケースも紹介されています。
当事者である私はこれを読んで深く納得しましたが、世間ではこの本に書かれていることに対して
「親や養育者を傷つける内容だ」という声もあります。
しかし、発達障害の当事者の立場から言わせてもらうと絶対に養育環境の影響はあります。
私の経験からわかりやすい例を出すと、子どものころ父は私に勉強をしていると教えてやるという口実で
激しい暴力を奮っていました。
算数の計算を後ろから見られ、間違うたびに頭を殴られたり、怒鳴られたり、
髪を引っ張って柱に打ち付けられました。
そのため、私は社会人になってからも自分の後ろで先輩社員に指導されると
とても落ち着いて仕事が出来なくなり、ミスを連発するようになりました。
ミスをする、ということ自体に恐怖があるので、慌ててまたミスをする…そんな自分の
状態も発達障害だけでなく愛着障害やトラウマが関係していると思います。
好奇心旺盛で活発な子を伸ばせる親とそうでない親
私は子どものころはかなり好奇心旺盛でした。
好奇心に駆られたら何でもやってみてしまう無鉄砲さで、
周囲の大人たちは手を焼いたと思います。
両親は毎日朝から晩まで働いており、末っ子の私の面倒を見る人はいなかったので
幼児のころから自由に1人で外を出歩いていました。(よく死ななかったなとつくづく思う)
好奇心旺盛で良くしゃべり、愛想も良い私を周囲の人は
「活発な子」「面白い子」とも言いましたが、
いつも言われるのが「落ち着きのない子」「集中力のない子」でした。
そんな私を父も母も教師も暴力で抑えようとしました。
「人の話をちゃんと聞け!」
「どうして落ち着いて解けないの」
「もっと集中しなさい!」
私は大人に気をつかって常に愛想よくピエロを演じていたので、そのせいもあって
暴力が収まることはありませんでした。
でも、そんな私でも絵や工作、作文などは得意でよく賞ももらいましたが、
勉強かスポーツ以外は一切能力として認めない方針の親に育てられたので
そんなものは無意味でした。
つまり、親の価値観一つだったわけです。
もし私が勉強以外の才能を見出されて親に褒めてもらえたり応援してもらえていたら
きっと発達障害の目立った症状もなく、今とは違った景色を見ているかもしれません。
愛着障害が治れば、発達障害は改善する?
「じゃあ、愛着障害が治れば発達障害は治るってこと?」
繰り返しますが、全ての発達障害者と診断された人が愛着障害というわけではありません。
また私は専門家ではないのではっきり「そうだ」とは言い切れませんが、
しかし、一つ確かなのが
【発達障害を自分のマイナス要素として見て自分を卑下すること】
少なくとも↑こういう自己肯定感の無さから来る二次障害は防げます。
親が「あんたはオカシイ」と言って蔑み育てるのと、
「あなたは大丈夫。自信を持って」と言って個性を認めてあげて育てるのとでは
その子の性格から行動まですべてにおいて違ってくるということは誰もが分かります。
つまり、愛着障害にならないように育てることで発達障害を改善できるというよりは
『発達障害があっても生きやすい』世界を作ってあげることはできるんです。
自分に自信を持ち、人とのコミュニケーションを恐れず、生き生きとしている
発達障害者を世間では「発達障害なのにすごい」「発達障害なのに頑張っている」と
言い、(偽善的なのはともかく)その子のために椅子を用意してくれるはずです。
最後に。
『発達障害と呼ばないで』という賛否両論あるこの本にこんな一節があります。
大事なのは、誰のせいかということではなく、どうすれば危険を減らし、また生じた問題を改善できるかということである。
それを考えるうえで、養育要因も含めた環境要因の重要性が以前より大きいということが明らかになったことは、むしろ朗報ともいえるのだ。
環境要因に注意を注ぎ、それを好ましいものにしていくということで、「発達障害」といえども、状態を大幅に改善するチャンスがあるということだ。
森雨でした。
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